
十五)石切山「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より
石切山は、岩石が入り組んで形成された、厳しい岩石掘り出しの山である。その岩石をつるはしで掘り起こし、砕いて地上に向けて転げ落とす。
下ではその岩石を受け止めて、集積して正方形に積み上げる、その積み上げられた岩石を、上下左右から計算して、ノルマの達成割合が計算される。
ところが、単に頂上で掘り起こした岩石を転がり落とすだけでは、とてもノルマの達成はおぼつかない。
そこて、同じ山の中腹でも、頂上と同様に
掘り出し作業をすることで、よりノルマの倍増をねらうのである。
その日も、頂上を形作る石切山の背景には、突き抜けるような空の青さがあった。
頂上から「行くぞう」の声、
中腹での作業者はその声に応じて「おう」
さっと身を引いて、転がり落ちる岩石に注目する。だから中腹の作業者は、常に神経を頂上に集中して作業を続けざるを得ないのである。
従って、この中腹での作業者と頂上での作業者との連携の可否が、如何にこの作業場での作業能率を上げられるかに繋がり、それが厳しいノルマ達成の可否にも繋がるのである。
その時私は、中腹で指揮を執っていた。
頂上と中腹、そして下の状況を確認しながら、如何に事故無く、能率的に作業を続行できるかがその日の私に与えられた役割であった。
今朝この作業場に着いてから、何度か「行くぞう」「おう」の呼応が繰り返されて、そろそろ昼の休憩も間近い頃と思われた。
今日は、中腹の作業に老兵藤根ら数名が当たっていた。
藤根は秋田県出身の補充兵で、私と同じハルピン以来の仲間である。
私がビロビジャンに着いて、数日後の日曜日、何気なくケバケバしく彩られた壁新聞を見ていると、「あらっ 親父だべさ」と、秋田弁で声を掛けたのが藤根である。思わずお互いに手を握り合って「お前も生きてたのか」と、感激の対面をしたものである。
当時彼は神経痛を患っていた。かつては豪快に見えた顔色が、如何にも弱々しく、頬 には白い髭がまばらであった
シベリアでは、形に見えない痛みは病気とは認めないから、神経痛等の痛みを訴えると、即座に作業のサボりと混同されてしまう。
彼の今置かれている立場は、その見違えるような弱々しい表情からも汲み取れた。
私は早速彼に案内させて、現在の彼の組長に会った。
組長は、最近ソ側が主導する、民主化運動の結果選出されたらしい、軍隊経験の無い開拓団出身の如何にも若い青年であった。
「政治部将校には俺が交渉するから、藤根を俺の組にくれないか」
元々ノルマは人員数によって割り当てられるから、彼にとっては願ってもないことであったに違いない。
「政治部将校の了解を取ってくれるならいいですよ」と言うことになった。
政治部将校にしてみれば、人員の移動分だけノルマ量を移動するだけのことで、それで能率が上がるのであれば願ってもないことなのである。
問題は、藤根が私の組に入って、ノルマ分だけの仕事が出来るか否かということである。
私の組員にしても同様である。各人が夫々限界までの作業に挑んでいる。無駄な一人が増えることが何を意味するか、言わなくとも判りきったことである。
然し私は、藤根の性格や力量を充分に知っている積りである。必ずブラスに役立つことに確信を持っていた。
私は、藤根の労働を免じて、所謂組全体の世話係りを命じた。
当然彼のノルマは組員全員に割り当てられた。
神経痛という見えない痛さに耐えながら、彼は予想通りの働きをしてくれた。
先ず作業場に着くと火をおこす。
食器代用のカンガラに水を組み入れて、スープ用の雑草を採取する。
作業に出発してから唯一の楽しみ、それは昼食時にラーゲル( 宿舎) から届けられるスープ状の、各人缶ガラ一杯の食事である。
とても、こんなもので満腹感など得られるはずが無い。
ところが、今日は缶ガラが各二つ並んでいるのである。
まさか、と思う驚きである。
一つの缶は例のスープ状の食事だが、一つの缶には、岩塩に味付けされた新鮮な野菜を思わせる雑草が溢れるように、ふつふつと煮えているのである。
みんなの顔が一様に驚きに変わり藤根を見た。藤根は照れたように焚き火をいじると、火勢は一気に燃え上がった。
そんなことなどもあって、藤根の評判は極度に上がり、従って私の対面も保てたというものである。
ところが今日は、一名が発熱で休んでしまった。その代役として、藤根が作業への参加を申し出たのである。
それが石切山の中腹の、この難作業である
彼は朝から緊張して、上からの声に大声で反応して仕事を続けていた。
そろそろ午前の仕事も終わりかな、と思われる頃、
「行くぞう」と、上からの声。
「おう」と、応じて転がり落ちる岩石
そんなことが何回か繰り返されて
「ゆくぞう」と上からの声
「おう」と、藤根が応じ
さっ、と避けた積りの藤根の左足が、ずるりと土砂に流れた。
真近に居た私は咄嗟に彼を蹴り上げた
岩石は速度を増して転げ落ちていったが、私は瞬間何も見えなくなったようである。
(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)

葦のかご教会水曜讃美祈禱会(2021年7月14日)能瀬熙至兄弟
https:// www.youtube.com/watch?v=VX9rfrrNJhA
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
【賛美】あなたが共に
Seekers (Together with God
당신이 함께
Eng,Kor sub)
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=xTuqgreT0hg&feature=share
【賛美】善き力にわれ囲まれ
By loving forces
선한 능력으로,ENG/KOR sub
covered by Seekers
Eng,Korsub)
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=2tCshyJunSM

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