2015年11月26日木曜日

【だから今日も祈るんだ】他力本願なのか?

【だから今日も祈るんだ】他力本願なのか?

ボジティブなのか?
他力本願(たりきほんがん)なのか?
神様から来る 信仰なのか?

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、
そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、
そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は
あけてもらえるからである。
(マタイ7章7-8節)

トマスのように
「其の釘の穴に触れさせて下さい。」と
「其の槍で突かれた跡に触れさせてください。」と
祈ることはないだろうか?

こんなに沢山の恵みの中に置かれながら
恵みが見えず その根源の神様の存在を
無視して生きている者になっていないか?

冷たい雨が地に降る時・・・
見えなくて
悲しくて
冷たくて

だから 今日も祈るんだ
祈るのだ
ハレルヤ  エーメン 阿門
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2015年11月24日火曜日

【七分袖のズボン】

【七分袖のズボン】

日曜日に筑波の教会へと向かう車の中でのことである

眠気に項垂れ(うなだれ)弟の足元を見る娘が息子の
ズボンに目を置いて・・・

ア・イ・ウ・エ・オ で お〜〜〜 大声をあげた
「ええええぇぇぇ」
「なにぃ〜〜〜 そのズボンわ!」
「すね毛を出して 七分袖じゃないの!」
「なんでそんなに短いスボンをはいているのぉ?」

すこし考え見入って
「それ お姉ちゃんのスボンじゃないの」
「最近 見ないと探していたヤッ」
「なにしてんのョォ」
「恥ずかしいぃ」

サダマケ サダマケ サダマケら (妨げか?)

息子は なにも無かったように
「そこに スボンがあったからサ」だって
お爺ちゃんが間違えて息子の洋服に混ぜてしまって
いたみたい??

それを気にせず着込んでいる息子も・・・
おうちゃく と言うか? 
ずぼら と言うか?
無関心 というか? 
ズ太い と言うか?

娘のズボンをはけたのにも驚いたが
それに気が付かないではいていることにも驚いた
出来事である

七分袖のズボン!!
膝下出ていて寒いと感じない
ものかネ〜〜〜
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2015年11月23日月曜日

2015年11月22日今高一紀牧師「神のなさることはすべて時にかなって美しい」(日本語)

画像



11月第4週目礼拝 

2015年11月22日

筑波福音基督教会

「神のなさることはすべて時にかなって美しい」

神造萬物、各咹其時成為美好

(日本語)

伝道者の書3章1-15節 

メッセンジャー 今高一紀牧師

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2015年11月19日木曜日

【小さな一歩】

【小さな一歩】

今日 妻を成田空港へと送った帰り道での
こと不思議な光景を目にしたのだ・・・

それは 小さな野鼠が横断歩道を渡っている
様子だった
長いはずの尻尾を丸めこむように小さくして
小さいネズミが 更に小さくなってブルブルと
震えるように交通量の多い大通りの横断歩道を
一歩 また 一歩と 
それは時計の秒針の動きでも数えるように
前に 前に と 小さく一歩 されど
一歩と少しずつ進んで行くものであった

何時 向こうに渡り切るのか解らないのに
匍匐前進(ほふくぜんしん)のように
アスファルトを吹き抜ける冷たい風に叩かれ
ながら 歩いている

俺も仕方なく その上を跨ぐ(またぐ)ように
通り過ぎたけれども・・・
つい
「元気で渡り切れ ょ」って その鼠にエールを
呟き贈っていた

きっと ウールドデッズニーも こんな鼠を見て
ミッキーマウスを誕生させたのかなぁ って
瞑想巡る出来事だった

目を上げれば
秋風がわずかに葉の残った木枝を揺さぶっている
葉は風に揺られて地に落ちて行く 
そして葉は 身を寄せ合い風に任せて地を転がり
流されて行くのである
雲に青空が跪き(ひざまづき) また木が揺れて冷たい
風が吹き抜けて行く    エーメン
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2015年11月15日日曜日

【4回神に語られたヨセフの夢】

【4回神に語られたヨセフの夢】

彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて
言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻とし
て迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるので
ある。
マタイ1章20節

すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって
言われたことの成就するためである。すなわち、

「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、
「神われらと共にいます」という意味である。
マタイ1章22-23節

そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、
他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
マタイ2章12節

さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいる
ヨセフに夢で現れて言った、

「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。
幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
マタイ2章19-20節

そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、
イスラエルの地に帰った。
マタイ2章21節


ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、
「わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを
拝みました」。
創世記37章9節

新約聖書マタイに書かれるヨセフは夢で4回も
イエス様の誕生のことについて神から語られている。
それは 新約聖書のヨセフが旧約聖書のヨセフを知っており
似せられて作られた旧約聖書のヨセフのDNAを
持って純粋に理解できたのだと思われる。

柏めぐみのうたキリスト教会礼拝 うけうりより
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