2017年10月30日月曜日

ステーション 奇跡を呼ぶ男

ステーション 奇跡を呼ぶ男

ホームに列車が入って来た
高鳴る鼓動を押さえながら
階段を駆け下りて行く・・・

人波が神風(上風)のように流れ
俺は「すいません」と 呟き囁き
ながら その流れをかき分けて行く

頭上には 先ほど俺が頼んだ
アナウンスが流れ呼びかけている
「〇〇さん・・・」
「〇〇さん・・・」

この人混みは そんな声をもモノとも
せずに届かないだろう!

列車の乗り継ぎの時間はもう残されていない!
俺は あいつが次に行くプラットホームへと
そのまま 走って行ったのである
奇跡を呼ぶ男になるために・・・

俺は 奇跡を呼ぶ男 自我に惚れ惚れ
神なんぞは信じない (当時はそうだった)
若気の至りが! 俺はそう思っていた
わずかなチャンスも掴む男と信じていた

走り行く駅内
キヨスク(KIOSK)の側で 覚えのある
背中を見つけた
楽しそうに友達と話す素振りに 緊張して
胸が疼いた(うずいた)ゼ
あれが 年貢の納め時(ねんぐのおさめどき)
だったゼ・・・
バキュ〜〜〜ン 昇天!!

奇跡は人の為にあらず
  神の為に有りにけり
奇跡は 神の存在の証しなのです
それを当時の自分は 自分の力と自負していたので
ありました

栄光在主
神に感謝だね〜〜〜 エーメン


22017年10月27日_金昌民牧師「ローマ8章12-15節」
http://bethesda.at.webry.info/201710/article_26.html

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2017年10月29日日曜日

「アブラハムのとりなし」2017年10月29日今高一紀牧師(日本語・北京語)


2017年10月29日
筑波福音基督教会(日本語)
「アブラハムのとりなし」
亞伯拉罕的代祷
創世記18章16-33節
メッセンジャー 今高一紀牧師(日本語)
通訳 川島長老(北京語)
日曜礼拝_10時30分から12時
茨城県つくば市谷田部6100-13 谷田部中隣
http://bethesda.at.webry.info/201710/article_27.html

2017年10月28日土曜日

十月の夜空

十月の夜空

その日 俺は ある淋れた(さびれた)駅に
降り立っていた
傘を持つ右の手は すでに悴んで(かじかんで)
其の甲は 感覚すらも失い始め 左手は
厚いジュンパーのポケットの中で 動けぬ
ように蹲り(うずくまり) その手を深く握りし
めていた
街灯も少なく 暗い夜空に 白いモノが
混じり始める
ふわ ふわ と そわそわ と
優しく 優雅にお道化て(おどけて) 降り注ぐ

目を落として
通りの向こうに目をやれば・・・
曇りガラスのうらびれたパチンコ屋
水滴のせいなのか? とっても薄暗く
なんのネオンも看板もない
ただ ガラスに「パチンコ」とそれとなく
かいてあるだけ・・・

俺は 少しでも暖(だん)をとりたく 
その光へと入って行った

木枠(きわく)に傾ぐ(かしぐ)ガラス戸を引き
中へと入ると手前は明るく奥は暗くてよく見えない
手前の台だけに電源が入っているようである!

昔 懐かしの 手打ちのチューリップ台!
玉貸機(たまかしき)から玉を手に取り台へと
流し込む

まるでココだけ時間が止まっているようで?
タイムスリップでもしたようで !!
タイムスリップしたのかも ??
(その時 2本の道が見えた気がした)
数分いたのか ? 数十分いたのか ?

駅へ降り立つ人を迎えに来る地元の車だろうか ?
数台の車が 風と雪を巻き込み走り抜けて行く

風に引き戸が震えて見える
曇ったガラス戸に水飛沫(みずしぶき)が弾け飛ぶ

俺は そんな駆け足の光に 我に帰って
駅のバス停へと向かうのである

駅に行くと これが最終バスだった 逃していたら
タクシーだ 逃さなく良かったとフッと思う

バスに乗り込むと バスには俺を入れて
客は二人 暖房の温もりにも涼しい風が迷い込み
身震いをする

バスは うっすら白くなった山道を登って行く
左右は 暗くて何も見えない 
ただ 白い風が前にも増して強く見える
どの辺を走っているのだろうか・・・

10月になると そんな夜空が
        目に浮かぶのである
そして右手を摩り(さすり) 暗い朝に目を覚ますのである
今日と言う日に感謝して ハレルヤ エーメン


22017年10月27日_金昌民牧師「ローマ8章12-15節」
http://bethesda.at.webry.info/201710/article_26.html

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