2020年7月29日水曜日

粉骨砕身_全き愛を持って하나님

粉骨砕身_全き愛を持って하나님

全き(まったき)愛を持って하나님(ハナンニン(神様)を
迎える 教会形成(きょうかいけいせい)は
難しい 人が集まれば 擦れ合い(こすれあい)
詰り合う(なじりあう)ことも多く
イエス様の愛が無くしては 互いに愛し合い
許し合う(ゆるしあう)ことも出来ない

神の栄光と 救いを慕う(したう)者は
神の奇跡を見るであろう

それは ラザロが死の四日後に生き返ったように
死臭すらもUnwilling (ものともしな)かったように
ネガティブを打ち砕き ボジティブに
布に縛られ動けなくても  イエスの愛を受けるなら
粉骨砕身(ふんこつさいしん)頑張れるものである

命溢れる信仰は 聖霊の解放を生み
墓の石をも取り除き 無駄だと思うネガティブ感も
信じる 信じる 信じる 信仰で
諦め(あきらめ)という偶像を取り除くことが
出来るのです

39. イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。
死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、
もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
40. イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら
神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
41. 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を
天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いを
お聞き下さったことを感謝します。
42. あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて
下さることを、よく知っています。しかし、
こう申しますのは、そばに立っている人々に、
あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせる
ためであります」。
43. こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」
と呼ばわれた。
44. すると、死人は手足を布でまかれ、顔も
顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に
言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
45. マリヤのところにきて、イエスのなさったことを
見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。
(ヨハネ福音書11章39-45節)

船橋市純福音愛隣キリスト教会
2020年7月26日 リモート礼拝参考
【主日礼拝】
一部 午前10時 (日本語 韓国語同時通訳)
二部 午後1時 (韓国語 日本語 同時通訳)
三部 午後 6時 (韓国語 日本語 同時通訳)
千葉県船橋市湊町2-2-6 ミナトビル二階  
船橋市市役所すぐ近く
Tel : 047 - 401 - 2242  
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律法に生きるか、自由に生きるか2020年7月19日ジャパンフィリピ教会礼拝
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【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always andForever
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【賛美】あなたが共に
Seekers (Together with God
당신이 함께
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コリント人への第二の手紙12章9節




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2020年7月28日火曜日

箴言4章23節

イエスの軛で 共に食卓を囲み

イエスの軛で 共に食卓を囲み

「新しいご馳走の発見は 
人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」
(ブリア・ザヴァランの言葉)

神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与える
ものである」。(ヨハネ福音書6章33節)

神のパンを食べなさい
イエスの軛(くびき)で 共に食卓を囲み


ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(Jean Anthelme Brillat-Savarin [ʒɑ̃ ɑ̃tɛlm bʁija savaʁɛ̃], 1755年4月1日 - 1826年2月2日)はフランスの法律家、政治家。ただし、何にもまして『美味礼讃』を著した食通として有名である。本来の姓は「ブリア」だが、サヴァランという女性が全財産を相続させる条件として自分の名前を受け継ぐことを要求したため、「ブリア=サヴァラン」を名乗った。(フリー百科事典より)
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2020年7月27日月曜日

ヨハネ福音書1章5節_イザヤ書40章29節








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娘は洗濯機!

娘は洗濯機!

土曜日に娘は仕事に行った
娘の帰宅時間に妻が私に言う
「○○ちゃん(娘)は洗濯機(せんたっき)」
「○○ちゃんは洗濯機」と

私は すでに娘が帰って来ていて
洗濯機の側にでもいて
それを妻が呼んでくれと言っていると思い込み
洗濯機の有る場所を覗き込むが
誰もいない( ^ω^)

それでも妻は
「○○ちゃんは洗濯機」
「○○ちゃんは洗濯機」と言うのである

そしてスマホの家族のlineを見て
わかったのだ その意味が・・・

妻は
「○○ちゃんは千駄木(せんだぎ)駅通過」と
言いたいのであった (娘からのlineを見て)

「○○ちゃんは千駄木駅通過」だから 
あと40分ぐらいで
最寄り駅に迎えに行く時間だ ょ と
知らせたかったようである

その意味をすぐに理解出来ない夫に
妻は腹を立て参りますねー

国際結婚だとこのような誤解はよく
生じることである
2020年7月25日

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2020年7月26日日曜日

2020年7月26日_葦のかご教会_苦しみの意味が分からない時(使徒8:1-8)

2020年7月26日 鷲敷キリスト教会 田口師礼拝メッセージ ホセア書1章1節~2章1節

アルファでオメガに働く力

アルファでオメガに働く力

歩いていると あなたにぶつかる
神の恵みを 共有 共存する世界
其れは電信柱の連なりのようでもあり 
それに連なる電線の道(未知)のよう
でもあって 私たちを支えては導いて
下さる

神の哀れみと慈愛が 豊かな聖霊の恵み
と共に 私たちに祝福のウエーブとなって
押し寄せて来ては 私を攫う(さらう) abduct


見えないけれど 其処にあり
見えないけれど 其処で働く
アルファでオメガに 働く力

善悪を二分して
私を罪から救い出して下さる神に
感謝して
ハレルヤ エーメン

アーメン。
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2020年7月25日土曜日

詩篇103篇13節




詩篇103篇13節

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初めの「恐れ」First fear

初めの「恐れ」First fear

恐怖 = サタン = 罪 = サタン = 恐怖

6  女がその木を見ると、それは食べるに良く、
目には美しく、賢くなるには好ましいと
思われたから、その実を取って食べ、また
共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
(創世記3章6節)

10 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる
音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を
隠したのです」。(創世記3章10節)

人類の 初めの「恐れ」First fearはこの時でした
恐れはアダムとエバに入り 神との距離を
引き離す力の種を人類に植え付けたのです
恐怖という偶像(サタン)の壁を築き上げのです
恐怖 = サタン = 罪 = サタン = 恐怖

その種は今も存在し 身近ですと 
新型コロナ(COVID-19)の恐れによって
人と人との距離が引き離されているのも 
また そうかもしれません?

でも そんな 私たちに
神様は救済の道を備え与えて下さりました
それが イエス様のゲッセマネの祈りです

36. 「アバ、父よ、あなたには、できないことは
ありません。どうか、この杯をわたしから取りのけ
てください。しかし、わたしの思いではなく、
みこころのままになさってください」。
(マルコによる福音書14章36節)

この祈りによってイエス様は人類の負債(罪)を追って
十字架と向かい合い 陰府(よみ)に下り 罪を打ち砕き
勝利し復活 蘇られて 今は 天に昇り神の右の座に
いらっしゃいます 

使徒信条(しとしんじょう)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、
イエス・キリストを信ず。
主は聖霊(せいれい)によりてやどり、
処女(おとめ)マリヤより生れ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、
かしこより来たりて、
生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、
聖徒の交わり、罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)の
よみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。 
アーメン。

イエス様もゲッセマネで 肉の思いの恐れを 
信仰による霊の導きによって打ち勝ち勝利した
ように クリスチャンの信仰は 恐怖に打ち勝ち
勝利する種 Hoiy seed(ホーリーシード(聖なる種)を
持っていることです
忘れないで下さい

その辛子種の信仰すらも パン種(イースト菌)の
ように聖霊充満に満ちる力であることを・・・

恐怖は決して 私たちクリスチャンにとって永遠のモノ
ではありません 打ち勝ち勝利できるモノへと
イエス様が変えて下さいました
信じて・・・ 祈ります

主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日頃(ひごろ)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救出(きゅうしゅつ)したまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく貴方(あなた)のものだからです。
アーメン。
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2020年7月24日金曜日

韓国に居る息子から誕生日にlineで送られて来た言葉。

韓国に居る息子から誕生日にlineで送られて来た言葉。

よき父親というものは、人から讃えられ褒められることも、注目されることもないが、私たちの社会にとって最も貴重な財産である。
<ビリー・グラハム>

人を裁くな 2020年7月19日メッセージ参考

人を裁くな 2020年7月19日メッセージ参考

人種の人柄(ひとがら)も関係なく
ましては「白人」「黒人」「黄人」関係なく
神は その「悪」と「義」で人を
聖別するのです

神の裁きには間違えが無く
其のジャッジ(judge)には 罪に勝るほどの
祝福が備わってくるのです

勝利によって悔い改めなさい
傲慢(ごうまん)は偶像にすぎず
神の戒めに従うことが幸いなのです

人は怒りの石をポケットに詰め込んでは
重い 重いと歩いています
ポケットから小石を出しては人に投げつけ
その傲慢さを ひけらかし(アピール(appeal)
しては平常心を装うのです
石頭に コンクリート 重すぎます

イエスキリストを誉め慕う者には 石も岩も
石打ちの石で無く 足枷(あしかせ)の石でも無く 
天国に用意される我が家の礎石(そせき)なのです

1. 慈愛 2. 寛容 3. 忍耐
神の心には この3つが有ります
私たちが悔い改めて変わることを待ち望んでいます
大きなモノも 小さなモノも 神の御座に
集い その喜びを分かち合うのです

聖書は読むだけで無く 応用が必要です
頭でっかちの聖書朗読者にならないように
御言葉 聖句の垂れ流しで その力を
浪費しないようにと祈ります
祈りと行動を持ってバランスよく 
イエスの軛(くびき)で共に歩む
クリスチャンになりましょう

憎みや呪いに打ちのめされる
囚われず続けることは虚しいことです

悪には悪が注がれ 
傲慢には傲慢が注がれます
復讐(ふくしゅう)には復讐が
注がれるます
それは 自らを自らで壊すことです
それをディナミス(dunamis(神の力)で
変え
善には 善が注がれ
義には 義が注がれる
ことを知る喜びにを受け取りましょう

罪の砂漠で蛇行(だこう)する者は
荒野の40年歩いたイスライル民族と同じです
同じアヤマチをおかさずに 神様を
信頼して歩みましょう
2020年7月24日
アーメン Amen


7 . あなたの神、主が、あなたのする
すべての事において、あなたを恵み、
あなたがこの大いなる荒野を通るのを、
見守られたからである。あなたの神、
主がこの四十年の間、あなたと共におられたので、
あなたは何も乏しいことがなかった」』。
(申命記2章7節)
人を裁くな 2020年7月19日 
松前 仁牧師メッセージ参考
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ナホム書1章7節





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結婚記念日2020

今年は韓国留学中の息子からは聖句メール、長女からは中華料理、次女からは何時ものスマイルのプレゼント、夜には家族礼拝で神様に感謝して過ごした結婚記念日でした。感謝
           息子からの聖句☟
結婚記念日おめでとう!

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。1コリント13:13

12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。伝道者の書4:12

2020年7月21日火曜日

アダムの肋骨

アダムの肋骨

妻となるイヴ(Eveは、人(アダム)の肋骨から
神が創造した。

22.  主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの
女を造り、人のところへ連れてこられた。
23.  そのとき、人は言った。「これこそ、ついに
わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取った
ものだから、これを女と名づけよう」。
(創世記2章22-23節)

こんなことを 昔 友人のクリスチャンから
聞いたことがある

イブは アダムの肋骨(あばらぼね)から造られた
それはアダムの塵であった時の罪の気質を
心(心臓(ハート))に 近い骨である肋骨から引き抜き
引き継いだことにもつながると・・・

また だからこそ 女性は 心臓の鼓動のように
気性が激しく 心の移り変わりが激しく
移り気変化に現われるのだと・・・

妻の怒りに触れて フッとそんな言葉が思い出された

その怒りは この御言葉の為でした・・・
感謝して ハレルヤ エーメン 
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コリント人への第二の手紙1章3-4節





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2020年7月20日月曜日

コロサイ人への手紙4章6節




コロサイ人への手紙4章6節

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2020年7月10日「金曜祈祷会」ヨハネ4章10-14節日本語

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ぶどうの木キリスト教会土浦チャペル2020年7月19日「人をさばくな!」


2020年7月19日ぶどうの木キリスト教会土浦チャペル
メッセンジャー松前仁(鄭)牧師
ローマ書2章1-16節「人をさばくな!」
【主日礼拝】
一部 午前11時 (日本語)
茨城県土浦市木田余2995-1
Tel : 029-828-6331
https://bethesda.at.webry.info/202007/article_40.html?1595225677

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律法に生きるか、自由に生きるか。ガラテヤ2:16〜21、6:7〜10율법으로 살 것인가,자유롭게 살 것인가 갈라디아서2:16~21,6:7~10

みなさん何か気づいたことはありませんか?

今日僕スーツ着て無いんですよ。今、どうでもいいって思った方いませんか?逆になんでスーツ着て無いの?って思った方もいませんか?いつも、メッセージなどの奉仕の時はなるべくいい格好を僕はするようにしています。それは、神様に心も外見もベスト(最善を)捧げたいと思っているからです。ただ、今日なぜ、きてこなかった方かと言うといかに自分たちが律法に縛られて生きているかを感じて欲しかったからです。見た目や外見に縛られ、時に相手を批判してしまう事がある事に気付いて欲しかったからです。きっとこの場所にいる皆さんは私の洋服で批判をして無い事だと思いますが。今日のメッセージはですねガラテヤ2章16〜21節ですが、この当時も教会に置いて、律法主義というのが強まっていました。ここで、ガラテヤ書の背景を見ていきますが、当時、異邦人への伝道もさかんになっておりパウロが各地で伝道していました。そして、ガラテヤの教会にもその福音は届きました。しかし、1章6節にあるように“他の福音”が教会には入ってきてしまったのです。パウロが言うように“他の福音”と言うのは他に福音があるわけではなくこれを教える人たちが“真の福音”を変えてしまおうと教会をかき乱していたのです。そして、この“他の福音”というのは言うまでもなく律法主義です。その律法主義の中には例えば、異邦人も割礼を受け無いといけない、食べ物の問題、他にもいろんな事があります。律法主義者たちはこれを異邦人にも強要し、これがあたかも“真の福音”であるかのように伝えたのです。もし、律法を守らないならその人は義と認められ無いかのように言ったのです。この時、ペテロも同じような行動をとってしまいます。元々、異邦人と共に食事をしていたのに律法主義者たちがやってくると彼らの目を恐れ異邦人から離れていきました。そして、パウロと共に行動していたバルナバもそっちの方向へと行ってしまいました。パウロはこれに対してペテロを戒めます。このようにガラテヤの教会に入ってきてしまった、“他の福音”に対して、それが間違いであるとパウロはガラテヤ書の中で述べています。これが、簡単なガラテヤの教会の背景なのですが、
 今日、注目したいのは私たちがキリスト共に歩んでいく時に律法によって生きるのかそれとも、解放されたものとして自由に生きるのかということを共に考えていきたいと思います。今、ここにいろんなルールや律法が書かれた紙があります。このルールを全て守れた人はいますか?
ちなみに、これを全て守ったと言う人は多分自分を騙している人でしょう。一つ2つ守ってきたと言う人はいるかもしれませんが、全てを守れた人たちは絶対にいないでしょう。このように、人間は完璧に律法を守る事はできません。では、律法によって義と認められる事はあるのか?当然、数ある中の一つでも守れないのであれば私たちは律法によって義と認められる事はありません。私たちが完璧に律法を守れないからです。
 では、そもそもなぜ律法を完璧に守れない事を神様は知りながら、人に律法を与えたのでしょうか?ローマの7:7節には律法を通さねば私たちが罪を知らなかったとあります。また、ガラテヤ3:19〜25にはこのようにあります。
律法は主にネガティブな役割とポジティブが役割を成します。
ネガティブな役割というのは律法が虫眼鏡のように、当時律法が与えられた時のイスラエルの行いというのを拡大し、罪を見出す事です。ポジティブな役割というのはイスラエルの民に教育係、先生のように道から踏み外さ無いようにガイドしてくれるその指針のようなものでした。律法はあくまで教育係であり、私たちの行動や思いを吟味し、罪を責め、批判します。まして私たちの罪を赦したり、罪から解放する力はありません。しかし、この律法はイエスキリストによって完全なものとされました。
2週間前にキムテジョン牧師がイエス様は律法を廃止する為に来たのではなく、律法を完全にする為に来たのだとメッセージをしましたが、その通りで、イエス様は律法を完全にする為に来られました。イエス様は律法を2つに要約されました。みなさん何ですか?マタイ22章36〜40をお読みします。イエス様が言ったのは“心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ”と“あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ”ですね。また、イエスキリストが十字架にかかり私たちの罪を赦す事によって律法を完全にされました。そして、アブラハムに与えられた約束を異邦人の私たちにも与えてくださいました。それなのに、当時の教会ではイエス様のその十字架での死がいかにも無駄であるかのように扱われ、私たちが得た自由を無視し、神様の恵を一つの民族に限定するようにされていた事に対して、パウロは怒ったのです。パウロは決して律法を批判してるのではありません。むしろ、律法がよいものであると言っています。しかし、イスラエルの民がそうであったように、私たちが律法に完全に従う事はできず、その従う力も律法からは来ないという事を言っています。しかし、その反対にだからこそイエス様が律法を完成させられ、私たちのうちにキリストが霊を通してすんでくださるのだと言います。ここに自由があります。私たちのうちにキリストが住んでくださっているのです。
 では、逆に私たちは自由であるから何をしてもいいのでしょうか?まったくそういうことではありません。マタイの5:48節でイエス様が天の父が完全であるようにあなたがたも完全でありなさいと言います。ほかにも、私たちが完全になるように言われる箇所があります。例えば、第2コリント7:1、第一ヨハネ3:6です。ジョンマッカーサー牧師は“キリストが死んだ故に私たちが罪に楽しまされてはならないと言いました。”神の恵みを罪を行うための言い訳としてはいけないのです。罪には刈り取りが伴います。ガラテヤ6:7〜9。私たちが罪という種を撒く時、刈り取りがあります。例えば、憎しみの種を撒く時、憎しみを刈り取ります、不信仰の種を撒く時、不信仰を刈り取ります、現代で言えば、甘いものを食べすぎたり、お酒飲みたいだけ飲んだら病気という形で刈り取る事になるでしょう。また多くの時に後悔や、罪悪感などの刈り取りをするでしょう。同時に良い種を撒けば良いものを刈り取ります。赦しを撒く時赦しを刈り取り、愛を撒けば、愛を刈り取ります。私たちは全ての事が赦されています、しかし、全ての事が益となるとは限りません。第一コリント6:12。これは仏教で言う因果応報に近い考えかもしれません。なにか、間違った事をすればいずれそれが自分に返ってくると。しかし、因果応報とは違います。もし私たちがキリストの内にあり、神を愛するなら神様は私たちの撒いた種を刈り取る時期に成長させ益とする事ができるからです。自分の力ではなく神の恵みによってです。ローマ8:28。また、神様は憐み深い方です。旧約でモーセがイスラエルの民をエジプトから出してさまよっていた時、イスラエルの民はモーセに水をくれと言いました。その時神様はモーセに岩に言葉で命ずるようにいったのに怒りに囚われたモーセは岩を叩いてしまいました。神様は水を出す事をされましたが、その罪の故にモーセが約束の地に入る事を許されませんでした。しかし、憐み深い神はこれまで忠実に従ってきたモーセを覚え、約束の地に入る事は許さなかったものの見る事を許されました。このように、私たちの失敗に対しても神様は憐み深いのです。クリスチャンの歩みの中に3つのプロセスがあります。それは、義認、聖化、そして栄化です。ここに再生が入ることもありますが、義認とは過去形の救いでイエスキリストを救い主として信じた時に私たちが信仰によって義と認められることです。聖化とは現在進行形の救いで、人生をキリスト共に歩んでいく中で変えられていき、罪から解放されていくことです。そして、栄化は未来形の救いで、最終的に死んだ時に聖化が完了し完全な者となることです。私たちは、今、聖化の最中で日々練られ、つくりえられています。しかし、この聖化は私たちの人生の終わりが来るまで完了しません。生きている間に完全になる事は無理だと言う事です。だからと言って、神様は私たちを責める事はなさいません。
 最近、気づかされ思わされているのは、このプロセスにいる時に自分を責め無い事です。私たちには理想があるでしょう。誰しも完璧になりたいと思う人はいるはずです。私も完璧になれたらなと思う事がありますし、もし間違えてしまったり、聖書とは違う考えを持ってしまうとつい、自分を責め落ち込んでしまいます。また、時に理想と過去のはざまで成長していないと感じる事があります。ある牧師がこんな例えをしました。自分が一歩進む時に理想も一歩前に進んでいくんだと。なぜなら、私たちが理想に近づけば近づくほど、高慢になり、自分の義(self-righteous)になってしまうからです。しかし、確実に一歩づつ成長していると。私たちは自分の罪に気づきつまずいた時に自分を責める事をせず、神様に悔い改めるものでありたいです。神様は私たちが自分を責める事を望んではいません。むしろ、悔い改める事を望んでいます。もし、自分を責めるだけならイスカリオテのユダといっしょじゃないですか。ユダはイエス様を銀貨と引き換えに売り渡しました。しかし、後にその罪悪感に押しつぶされ自殺します。神様はこのようには望んでいません。神様に悔い改め、立ち返る事を望んでいます。悔い改めるとはどういうことですか?間違った道に行った時神様に立ち返り神様の方をもう一度向くことですよね?ならば、自分を責めその道にとどまるのではなくもう一度神様の方に向き直しましょうよ。私たちは失敗します、間違います。ペテロがそうでした、あれだけイエス様を慕い、自分の命を捧げるとまで言った彼は、最終的にイエス様を裏切ります。このガラテヤ書でも律法主義者達の目を気にし、異邦人から離れてしまいます。しかし、イエス様はこう言われます“立ち直ったら兄弟たちを励ましなさい、私があなたの為に祈っているから”と。イエス様は私たちの為にとりなし、祈ってくださいます。一度失敗したから、もうそこで終わりではなく、何度も何度もチャンスを与えてくれるのです。私達も早天祈祷会に言っているから、奉仕しているから、献金しているからと高慢になったり、牧師も先生、先生と呼ばれてはいつの間にか偉くなったように感じ自分で自分を義としようと失敗します。しかし、神様の恵と憐みによって私たちは日々成長させられていくのです。最後にでは、どのように、自由に生きるのかを見ますがそれはガラテヤ5:13〜18です。私たちが御霊によって導かれる事です。御霊を通してキリストが私たちの内に住んでくださっています。私たちが御霊と共に歩む事によって、何が間違いで何が正しいかを判断できるようになります。また、聖書を読む中で、祈る中で、神様をもっと深く知り、御霊を働かせる中で、正しい方向へと導かれていきます。
 結論を言いますが、私たちはキリストにあって、自由です。しかし、その自由を悪の機会に用いるのではなく、もっと神様を愛し、仕え、また御霊に導かれる機会に用いたいと願います。そして、聖化の過程の中で自分を責めるのではなく日々悔い改め、成長させられるものでありたいです。私たちの内に住むのはもはや私たち自身ではなくキリストが住んでいてくださる、そして十字架によって罪を全て赦してくれました。その恵みを覚え、主の中にあって自由な人生を過ごしていきましょう。