2018年1月30日火曜日

2018年1月28日 礼拝メッセージ 林 文慧伝道師



2018128日 礼拝
メッセージ 林 文慧伝道師
日本語訳  能瀬 愛加 姉
通訳    林 佳慧

テーマ:あなたは彼をどうするのですか?
聖句:ヨハネ81-11

ある年の私の誕生日に、友達が私のため小さな誕生日会を開いてくれた時、その中でみんなが私に鋭い問題を出し、私に答えさせました。その中の問題は:もしあなたが一人だけ無人島に流れ着いたら、あなたは私達の中から一人の独身男性を選んで一緒に無人島にいさせるとしたら誰を選びますか?その時私は少しも迷わないで、私とよく喧嘩をして、性格が私と真反対のある兄弟を選ぶと答えました。みんなはなぜ私が彼を選んだのかとても不思議がっていました。私の答えは、私はきっと彼と二人っきりで無人島にいるのが耐えられなくなり、何が何でも全力でその無人島から逃げ出そうとするからですと答えました。
その後、私はこの笑い話を読者文献に投稿しました。そしたら、記事として取り上げられ、原稿費としてお金を貰ったのです。なので、その問題を出してくれた人には本当に感謝しています。
当然、現実の生活上、私達は鋭い問題を出されることがあります。私達は時にそれを笑い飛ばすことがありますが、時に壁に当たることもあります。先ほど読んだヨハネ83-11のところのように、イエスは律法学者とパリサイ人の問題に遭います。律法学者とパリサイ人がなぜ神聖なのか、また彼らはなぜイエスに問題を出したのか、少しお話ししたいと思います。パリサイ人はユダヤ教の所謂エリート達によって作られた宗教団体で、彼らは崇高な信仰を追及するのを目的としており、例外的に自分は義だと思っています。律法学者の職業は聖書を転写したり、モーセの律法を研究し、人に神の律法を伝えます。彼らは上辺は十分に清く見えますが、その中身は腐敗していました。そのため、イエスはよく民衆の前で厳しく彼らを戒めていました。なので、彼らはイエスを恨み、よくイエスを陥れようと考えていました。今回彼らは機会を見つけ、姦淫の罪を犯した婦人を利用しイエスを試したのです。この婦人をどのように処置するべきかをイエスに問いました。もし、イエスが律法に習い石打ちの刑にするよう答えたなら、イエスの伝えている愛と恵みの福音に矛盾が生じます。また、イエスが婦人を釈放するように答えたなら、当時ローマ帝国はユダヤ人に自分の律法によって裁判をさせていましたから、イエスのこの答えはモーセの律法に背くことになり、また同時にローマの律法を背くことになるのです。イエスがどちらの答えを出してもパリサイ人たちの攻撃の機会を与えるだけとなってしまうのです。これだけでも、律法学者とパリサイ人たちのイエスに対する思いが見えてくると思います。しかし、イエスはどのように答えたでしょう。第7節に;あなたがたの内で罪のないものが最初に彼女に石を投げなさい。

これが一つ目のポイントです。人間は上辺で人を判断しますが、ただ神だけは全ての事情の全貌を見て判断をします。この事件の中、民衆はただその婦人の姦淫の罪を犯したという上辺だけ見ていました。彼らは婦人の過去と事件の原因には一切無関心で、ただ彼女が犯した罪という上辺だけを見て、その災いを利用しイエスに問いかけたのです。この婦人には名前はありません。彼女はただ「姦淫の罪を犯した婦人」です。あなたは一人の人の名前が犯した罪の名前になることを想像できますか?もし、ある人が民衆の前で「不倫をして捕まった夫」「貪欲なせいでフラれた彼女」「汚職をして辞退した政治家」「怠けたせいで解雇された社員」などこのような呼び名を聞いて、あなたはどのように反応しますか?多分あなたはすぐにその人に対して警戒心を持つでしょう。本当によく私達は他の人に対しての外見や行動を自分の目や耳で見たり聞いたりして判断しています。
しかし、イエスは外見だけでは判断しません。彼は人の深いところを見て判断をするのです。彼が見て、また関心があるのは、その婦人の命です。イエスはこの婦人の過去を知っていました。この婦人の背景や性格を知っているのです。霊的な欠陥、その欠陥がどのような形でどれくらい大きいか、またこの欠陥を埋める為に彼女がどんな罪を犯し試してきたか、捜し求めてどのような行動をしてきたか、そして姦淫の罪を犯し、ある日捕まってしまったこと全てを知っているのです。その一つの過程は一瞬で起きた事件ではありません。イエスは私達の人生の全てを知っているのです。私達の出会い、考え方全てを知っているのです。そして、彼だけが事情の全てを見ることができたのです。

日本の有名な監督で「北野武」がいます。彼には、よくお金をせびる母親がいました。北野武は毎月お金をせびる母親の電話を受けていました。もし、お金を貰ってない時、母親は大声で罵ったそうです。しかも、北野武がお金をもっと多く稼ぐと彼の母親はもっと多くのお金をせびるようになりました。北野武は母親が嫌いで、家にもほとんど帰りませんでした。その後、母親は亡くなった際、北野武は家に帰り葬式に参加しました。葬儀後、お兄さんが母親から頼まれた一つの袋を彼に渡しました。その中には一つの手紙と通帳が入っていました。母親は北野武がお金遣いが荒い上に友達に対してとても気前が良いことを知っていて、お金を使いすぎ、老後何も頼るものがなくなることを心配していました。なので、毎月彼にお金をせびり、彼の代わりに全てのお金を貯金していたのです。もし、母親の行動だけを見た場合、とても冷たくお金好きな母親でした。それは北野武が最初に見ていたことですが、母親の手紙と通帳を受け取ってから、北野武は母親がどれだけ自分の将来について心配していてくれたかわかったのです。事実の真相と見てきたことはまったくの反対でした。

婦人を捕らえた律法学者、パリサイ人、また野次馬で集まっていた群集はただ婦人の犯した犯罪行為のみ見ていました。もちろん私達は彼女の犯してはいけなかった罪があるのを否認はしてはいけません。しかし、どのような衝動が彼女にこのような罪を犯させたのですか?律法学者パリサイ人は知りません、野次馬の群集も知りません、私達もわかりません、ただ基督だけが知っています。もちろん私達は神ではないので、事件の全てを見ることなんてできませんが、ただ単純に上辺だけを見て判断しないようにすればいいのです。聖書の第一サムエル記167には「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」神は私達に神の見方を学び、人の心に注意するように言っています。他の人の命、考え方に対して、上辺のものだけを見るのではなく、時間をかけてその人をよく知り、勝手に人を判断してはいけないのです。深く人を知るということは、どのように人の長所を褒め、どのように人の弱いところを理解するかを学ぶ助けとなります。

二つ目のポイントです;人は刑法を使い行為を更正します。ここでは姦淫の罪は石打ちの刑です。それは、懲罰を恐れることによって犯罪を防止しています。しかし、もしばれなかったら、懲罰を恐れなくていいのです。このように人の犯罪を防止できず、ただどのように自分の犯した罪を隠すかという励ましになってしまうのです。これは出口がなく、また自由な方法はありません。
しかし、イエスが見ていたのは違います。聖書ではローマ320「なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。」律法はただ罪を知るだけで、自分の無能さを知り、神を顧みることによって許されるのです。しかも、イエスは刑罰と恐怖は人に正しい力を与えず、愛のみがそれをできることを知っています。だから、彼はもちろん審判の権利を持っていますが、かれはこの権利を使っていません。むしろ11節には婦人に;「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言ったのです。イエスは人に後悔の機会を与えることは、刑罰よりも大切だと知っていました。これは愛の恵みであり、人に悔い改めさせ、霊的な自由を得させることができるのです。
私が16歳の時、学校の先生が私を教会に連れていきました。それから、クリスマスやイースターのときに教会に行くようになりました。しかし、私は悪いことをしている考えはなく、むしろ良い人だと思っていました。私には弟が一人いますが、彼は小さい時から問題を起こし、不誠実で、よく私の両親の頭を悩ませていました。ある日家で私と弟は喧嘩をしました。彼は情緒を失い、私を殴り怪我をさせたのです。当時の私の心の中は怒りと恨みでいっぱいで、すぐに警察に連絡し、最後まで追い詰め、彼が懲罰を受けるようにと思っていました。当時その喧嘩の為、仕事を辞め、ずっと妹の家に住んで心を休めていました。癒された後、ある友達が私を教会に誘ってくれ、私はまた教会に行くようになり、初めて真剣に聖書を学ぶようになりました。
私はパリサイ人と同じように、刑罰によって弟を懲らしめようと考えていたのです。私は、弟に苦しい思いをさせることだけが、彼を正しい道に導けると信じていました。しかし、その時神は私に機会を与え、聖書を開かせ、自分の罪をわからせ、また十字架の愛を教えて下さいました。突然、私はパリサイ人の身分から、姦淫を犯して捕まった婦人側になったのです。私は自分の傲慢さを知り、またまだ怒りがあることをイエスの前で赤裸々に表しました。しかし、イエスは私を罪に定めず、むしろ十字架の上に掛かって私の代わりに死に、私にまたやり直す機会を与えてくれました。その時私は砕け、私には弟を石打ちの刑に処す権利がまったくないことを知りました。
なぜなら、神の前では私も無力で神に救われた罪人で、イエスが十字架の救いを通して、私の罪を赦してくれました。罪から離れたことによって、初めて真剣に私の命の主として受け入れました。

3つ目のポイントです;あなたは何と言われますか?5節の後半でパリサイ人がイエスにあなたは何と思われますか?と聞きました。最初パリサイ人たちがそのようにイエスに聞いた動機は、イエスを試す完全に悪意のある動機でした。この問題をイエスの前に持っていき、彼に判断させるとき、不思議なことに神はその悪意のある動機を生まれ変わるための動機とさせたのです。私たちは;イエスが律法学者、パリサイ人と群集に自分は罪人であることを意識させ、また婦人の罪は許されました。一番重要なのは、今日までずっと私たちは聖書の記載を通してイエスの知恵、彼の悲しみ、罪に対する苦しみ、そして人に対する愛と恩恵を知ったのです。
当時私はイエスを受け入れた時、私は誠実に神の前に立って、イエスに;私は弟に対してどうすればいいですか?と聞きました。聖書には私は必ず弟を許すように言われました。これは非常に困難なことでした。しかし、イエスは私の為に神の愛によってもっと困難なことをしてくれたので、私は従うことにしました。本当に不思議で、私が弟を許したその瞬間、私の心は自由になりました。実は人の私に対しての傷害を許すというのは、自分の心を開放することができるのです。許さない心を持っているというのは、自分で苦しい監獄の中に閉じ込ているようなことであり、平安もなく、喜びもありません。
イエスは婦人に;「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」といいました。きっとその婦人は当時、とても信じられないという反応をしていたと私は思います。
死ぬと思っていたのに、生まれ変わる機会が与えられたのですから。きっと彼女の内心は感謝感激に溢れていたでしょう。私たちはその婦人がそれ以降罪を犯したかどうかわかりません。弟を思い返してみると、彼はいつも気が立っていました。その事件後、私は彼がいつも気が立っているのは彼のコンプレックスからきていて、また長男としてのストレスがあるのだとわかりました。弟は私が彼を許し、追求をせず、過ぎたこととしたのを見て、とても感激していました。そして、何年も後に、私に謝ってきました。彼はクリスチャンではありませんが、私は主に感謝しています、今日までずっとこの弟は家族の中で私と一番親しくなりました。私と弟の事件は、最初私はたくさんの傷を受けましたが、それは私が罪の怖さ、影響を認めることによって本当の基督と歩む者となることができました。

なので、私は皆さんを励ましたいと思います。今日から人を上辺だけで判断するのではなく、時間をかけて相手の内心を知ってください。もし、ある人があなたに対して罪を犯したなら、その人に変わる機会を与えてください。人の犯した過ちを神に判断を任せ、どうすればいいですか?と聞いてください。私たちがそのようにイエスにどのようにいうかを託したとき、イエスは私たちの生活に関与し、また私たちの同行者となります。神を本当の私たちの命の主とすることで、私たちはもっとたくさんの彼の性格、豊富な経歴、栄光の御業を知ることができます。

2018年1月28日日曜日

【テントウ虫】北軽井沢の夕べ2

【テントウ虫】北軽井沢の夕べ2

それは、36年ほど前のお話しである

中軽井沢から 日本ロマンンチック街道を登り
星野温泉の手前に 今はザ・カウボーイハウスと
言う名のステーキ屋さんになっているが 其処に
昔 「テントウ虫」と言うレストランが存在した

美味しいのは エビヒラフとチーズケーキ
特にチーズケーキは 最高で芳醇で味わい深い
ケーキだった

其処には 私はよく一人で行っては
コーヒーとケーキを楽しんでいたのだけれども
彼女との2度目のデートで行った時は
こんな感じだったことを憶えている

俺は 相変わらずのボンゴレスパゲティーだった
それが 注文するのに面倒でなかったから!

食事を始めると 彼女は そわそわし始めた
そして 「今日は父の誕生日なのだ」と呟いた

私は チーズケーキを1ホール買って お父さんと
過ごすように勧め早めに帰した
その言葉がカッコつけようと思いつつモゴモゴと
ドツボにハマってドッピンシャン で
ロレツが回らずに
「お父さんの誕生日だからね」
「お父さんの誕生日だからね」
連呼していたように思う・・・
7月のことだった

携帯電話も無い カーナビも無い そんなバブルの
時代は 俺たちを飲み込んだ 忙しさは
忙しさに揉み消し 会える時間は日に日に
減っていく・・・
それが ボタンの掛け違いの第一歩だったの
かもしれない?
その後
悟った
当時の自分は自分のスタンス(自我)だけが
神様だった

And (そして) ( ^ω^)・・・

気がむいたら 続く

2018年1月26日金昌民牧師「民数記14章4-9」 http://bethesda.at.webry.info/201801/article_16.html

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2018年1月27日土曜日

【くろねこかしや】

【くろねこかしや】

茨城県の守谷に「くろねこかしや」と
言うお店がある
営業中のところは あまり見た記憶が
無いが・・・
その真っ黒な猫の絵と「くろねこかしや」の
太字で書かれたヒラガナの文字には目が留まる

そこを通るたびに
100歳近い父がよく言うのだ
「最近は黒猫を貸し出すのも商売になるのだなぁ」
「面白い商売があるものだ」と
どうも父には「くろねこかしや」が
「黒猫貸し屋」に読み取れているらしい!

すると長女が其の度に修正するのである
「黒猫貸し屋」で無く「黒猫菓子屋」だょ と

だが菓子を売っているところは まだ知らない

父は今週もキリスト教会への通い道
「くろねこかしや」の看板を見てはまたこう言うだろう
「最近 面白い商売があるものだ」
「黒猫貸し屋だって」と・・・


ララララララ ララ
黒猫のタンゴ タンゴ ダンゴ
僕の恋人は黒い猫
黒猫のタンゴ タンゴ ダンゴ
猫の目のように気まぐれよ (^^♪

ニャーオ

2018年1月26日金昌民牧師「民数記14章4-9」 http://bethesda.at.webry.info/201801/article_16.html

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2018年1月26日金曜日

2018年1月26日金昌民牧師「民数記14章4-9」(ボイスプログ)


ベテスダ・柏 家庭集会 2018年1月26日
メッセンジャー 金昌民牧師
船橋市純福音愛隣教会
「民数記14章4-9」 
【主日礼拝】
一部 午前10時 (日本語 韓国語同時通訳)
二部 午後1時 (韓国語 日本語 同時通訳)
三部 午後 6時 (韓国語 日本語 同時通訳)
千葉県船橋市湊町2-2-6 ミナトビル二階  
船橋市市役所すぐ近く
Tel : 047 - 401 - 2242  
http://bethesda.at.webry.info/201801/article_16.html

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【ダイヤモンドダストに・・・】土曜日の出勤

【ダイヤモンドダストに・・・】土曜日の出勤

土曜日の出勤
フロントガラスのダイヤモンドダストに
ワイパーを重ねると 
噴き出したウォッシャー液が 瞬く間に
凍って行く
道端には 白い息を吐き出して ペットの
用足しを見守るおじさんが 小刻みに
ブルブル ブルブル 震えて立つのが見て
伺える

向こうからは 小さい小太りおばさんが
まるでエリマキトガゲのようにマフーラーを
首にグルグル巻き付けて歩いてくる

車に吹き込む 冷たい空気が 足元を迂回(うかい)
して背中の方へと登ってきては ゾクゾクゾクと
身震いをして 青い空にお辞儀をするのだ

ハレルヤ 主 感謝します
今日もまた 始まりますって

スッポリとウォーキングウェアで固めたお兄ちゃんが
そんな車の横を走り抜けて行った

ハンドルを持つ 手も悴んで
寒い 寒い 冷たい

そしてマックのドライブスルーに入り
ハンバーガーを掻っ込んで(かっこんで)
コーヒーを啜るのである

現代人だろぉぉぉ
グレイトだろぉぉぉ
ヤバイだろぉぉぉ


2018年1月21日メッセンジャー江藤成男牧師(日本語) http://bethesda.at.webry.info/201801/article_12.html

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2018年1月24日水曜日

【ガンバルじょ〜〜〜】

【ガンバルじょ〜〜〜】

昨日の夜からコタツに潜って寝ていた
娘が 11時頃に目を覚ましては !!
キョロ キョロ キョロ

「サーやるか !!」と呟いては
玄関先でモゾモゾしている

パパが
「どうしたの ??」と聞くと
娘は
「雪かきするんだぁぁぁ」だって
パパは
雪遊びの間違いだろう と思いつつも 
雪かきスコップの有る場所を教えた

すると おそ松君のジャケットを着こんで
雪かきスコップを肩に背負って
雪 雪 雪 降れ 降れ ♪
降れ 降れ ♪ ♪
〇〇ちゃんは スキだからぁ ♪
(雨の慕情(八代亜紀)のメロディーで)
レトロだネ〜〜〜

鼻歌を歌いながら
レレレのレ〜〜〜  って
外も(おんも)に出て行ったのである

そして独り黙々と・・・
隣のお家の駐車場の雪かきをしていた?!?

エッ 我が家じゃないの ??
パパは 娘に聞いたゼ

すると娘
「だって お隣・・・」
「おばちゃん一人で出来ないでしょ」
「可哀そうだから」 だって

しばらくして シュウクリームを一つ貰って
きては 「おばちゃんが有難う」
だってと満足そう

そしてお茶とシュウクリームでまったり(*´ω`)
してから
「さぁぁぁて ガンバルじょ〜〜〜」と言って
また外に出て行ったのである

今度は 我が家かな ?? と思ったら
今度は おむかえのお家で・・・
二人のおばさんと雑談しながら 
おむかえのお家と道路の雪かきをしはじめた

何時間も雪かきをして お家に入って来て
「あぁぁぁ 霜焼けだょ」
「霜焼け」「霜焼け」と
靴下を脱いで ストーブに張り付く娘の姿に
本当に 辛抱強く(しんぼうづよく)なったなぁぁぁ と
娘の成長を感じる父である
感謝して ハレルヤ エーメン

2018年1月22日



2018年1月21日メッセンジャー江藤成男牧師(日本語) http://bethesda.at.webry.info/201801/article_12.html

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2018年1月23日火曜日

【二万五十四回の瞬き】

【二万五十四回の瞬き】

人の一日の瞬き(まばたき)は
約二万五十四回だと聞いたことがある

あなたは
二万五十四回 目を瞑り(つぶり)
また開かれる
そして その目で
何を見るのだろうか?

神様の御言葉に従う歩みの自分だろうか?
サタンの誘惑にズタズタにされ既に歩けなく
なった靴底だろうか?

ここには
委ねて信じるだけで
開かれる道がある
信じて疑わないなら平安が訪れる

私たちは それを知りつつも
ないがしろにし それを避けては
溝(どぶ)の中を歩く

神様はただ「赦す」と言って下さり
私を変えて下さるのに
悪臭を放つ羊のように 泥を纏わり(まとわり)
転がっている

神様を信じて
神様を顧み(かえりみ)て従え

主は共におられる
主の頸木(くびき)に繋がり歩むなら
苦難すらも感謝へと変わるだろう
感謝して 感謝して
主に感謝して
ハレルヤ エーメン



2018年1月21日メッセンジャー江藤成男牧師(日本語) http://bethesda.at.webry.info/201801/article_12.html

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2018年1月22日月曜日

2018年1月17日水曜日

「歌で覚える韓国語」金道均神学生2018.1.14.


2018年1月14日
筑波福音基督教会
「歌で覚える韓国語」
講演 金道均神学生
http://bethesda.at.webry.info/201801/article_11.html

2018年1月14日日曜日

【ワンワン スタディー】






【ワンワン スタディー】

ワン ワン
スタディー (study)

100歳近い お爺ちゃんが 
お菓子を 近くのセブン〇レブンで
買って来て食べている
ワン ワン ワン

数日後 封の空いた お爺ちゃんの
買って来た お菓子を パパは
美味しそうだと思って食べた
ウゥゥゥゥゥ ワン ワン 
不味い (マズイ)

そのさらに数日後に・・・
夜 口寂しいのか??
息子が お爺ちゃんの
買って来た
封の空いている 
お菓子を頬張った
不味い まずすぎる
オェェェェェェ
ワン ワン ワン

そして息子が その袋をよく見て
気が付いたのである
「これ・・・・」
「ペット フードじゃない」
「何で こんなものがココにあるの」

その後ろでは 風邪で咳きこんでいた妻が
笑いこらえて 目を泳がせて
ワン ワン ワン

パパも「食べた」と言い出しづらくて
苦笑いこらえて
ワン ワン ワン
ワン ワン ワン ワン ワン ワン

このペットフード
〇〇ちゃんにあげようか??
あそこなら ワンちゃん 
犬をかっているし・・・!!

それにしても 不味いお菓子の
マズイ話しである
ワン ワン ワン
何事もなかった神様に感謝して エーメン


2018年1月1日金昌民牧師「エペソ1章15-」日本語・韓国語(ボイスプログhttp://bethesda.at.webry.info/201801/article_1.html

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2018年1月13日土曜日

【雨のザンガラ(zanger)】北軽井沢の夕べ1

【雨のザンガラ(zanger)】北軽井沢の夕べ1

それは、36年ほど前のお話しである

北軽井沢の三井の森の入口だったかと
思われるが ザンガラ(zanger) 
意味: ジプシー と言う 
イタリアンレストランがあった

5月 日が落ちて間もない夕暮れ時
すでに外は暗くなり始め街灯が1つ
灯る雨が強く降っていた日だった

俺は 車の運転席を下りて助手席に回り込み
ドアを半開きで傘を開こうとしていた
慣れない手つきでギコチナイ俺は 
寒さと緊張で小刻みに体が震えていた

エスコートをしようとする俺の戸惑いに
気が付いたのか?
あの時 俺の腕の裾(すそ)を摘み 彼女は
店の方に走り出したのである
ドキッ!!

傘もささずにお店までの少しの距離を
走り抜け お店に駆け込む
向かい合ってお店の角に座り ウエーターが
水をカップに注ぐ
二人は それぞれに頭と肩についた雫(しずく)を
ハンカチで拭い メニューに目を落とすのである

俺は このころボンゴレスパゲティーに
ハマっていた
イタリアンレストランに行っては バカの
一つ覚えのようにボンゴレスパゲティーを
注文していた

彼女も遠慮してか? 同じものを注文する
デートなれしていない俺はオドオドと喋れば
言葉を噛むありさま 折れるありさま・・・

まだ寒い軽井沢(嬬恋かな?) の 暖炉の火が 
走った火照り(ほてり)を増し加える

その前年の同じ頃 彼女に別荘地の駐車場で少し
会うことが出来て 速攻10分ほどでフラれた
ことが脳裏を駆け回っていた
「落石注意の場所が帰り道にあるから帰ります」と
撃沈された
キャペツ農家の長女と 会社の後継ぎでは無理が
あると即決だった
(当時は そんな初めからネガティブ思考の堅物が多かった
ように思われる ? )

そこからここまで文通で持ち直した
携帯電話も無い (電話をすれば親が出る) 
カーナビも無い そんなバブルの
時代は 俺たちを飲み込んだ 忙しさは
さらに忙しさにツイットし 会える
日と時間を日に日に失っていった
電話すらもかけられないほどに
夜も寝る間もないほどに忙しい日々だった
クリスマスも徹夜仕事で追われていた
当時の自分は自分のスタンス(自我)だけが
神様だった
And (そして) ( ^ω^)・・・
女は記憶に化粧をして美しくなり
男は傷を負いながら強くなる
(ドラマ:エンジェルハート(シティーハンター)より)
 続く


2018年1月1日金昌民牧師「エペソ1章15-」日本語・韓国語(ボイスプログhttp://bethesda.at.webry.info/201801/article_1.html

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2018年1月9日火曜日

【近未来的な夢を見たのだ】

【近未来的な夢を見たのだ】

仕事が3時 4時に終わるのか?
バスには 学生さんと共に大勢の人たちが
鮨詰め状態で載っていた
今180円の価格の路線に500円取られたようで
あったが、(薄っぺらなコインだった)それも設置された
白い頭陀袋(ずだぶくろ)にいれる まるで
昭和初期にも有り得ない光景だった

道は アスファルトでは無い大きく開かれた
石ころだらけのガタゴト道・・・
国の予算が無いのかな?
窓の外を見れば まるで組まれたやぐらに
ufo キャッチャーが張り付いたような機械が
まるでコピー機のように大きいビルを上下左右と
往復しては次々とビルの壁が剥がされて鉄骨も
剥き出しに消えて行く

山道を通るように時期に我が家の前の
細い道に到着すると 其処は砂埃(すなぼこり)
巻きあがる堀井のような砂利道(ジャリみち)で 
其処にも行き交う人混みが肩をぶつけて
犇めき合っていた

そして こんな言葉が押し交う若者たちから
聞こえてきたのである

「平成にこの辺の土地を買っとけば〇〇円だょ」
「今 買えば その十倍 その上に法外な税金じゃ
 誰も土地は買えないょ」

石油もまた値上がりし 消費税も値上がりして
ミサイルだぁ 原発だぁ
日の光も 夕日へと変わるころの
2018年1月8日の真昼の夢である


2018年1月1日金昌民牧師「エペソ1章15-」日本語・韓国語(ボイスプログhttp://bethesda.at.webry.info/201801/article_1.html

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2018年1月8日月曜日

「少年イエス」2018年1月7日今高一紀牧師(日本語・北京語)


2018年1月7日   筑波福音基督教会(日本語・北京語)
「少年イエス」少年耶穌
ルカ(路加)2章40-52節
メッセンジャー 今高一紀牧師(日本語)
通訳 川島長老(北京語)
日曜礼拝_10時30分から12時
茨城県つくば市谷田部6100-13 谷田部中隣
TEL 029-836-8434

http://bethesda.at.webry.info/201801/article_8.html

2018年1月7日日曜日

【年号の話しが・・・】

【年号の話しが・・・】

年号の話しがニュースで流れている
「平成の年号がどう変わるのでしょう?」
てな感じで

それを聞いている障碍を持つ娘が
「ねぇねぇねぇ」
「「ネンゴウ」ってなに?」 
「「ネンゴウ」って「ダイコン」」って
聞き返してきたのである

どうも 娘には「年号」が「大根」に
聞こえたようである
すると長女が・・・

「まぁ「ダイコン」でも「レンコン」でも
いいわ・・・」
「可愛い」って次女に抱き着いた

冬に「気に入ってる」と言って 半袖の夏服を
引っ張り出して来ては着る娘
季節感もわからず 月も曜日もわからない娘
時間すらも理解できない

そんな娘には
「ネンゴウ」もお野菜の一つにしか理解出来ないの
かもしれない!!

時空を超えた
時をかける少女なのか?? 
天使なのか??
今年も この子は何を引き起こすのか??

主の恵みも豊かにあるようにと祈りつつ
ハレルヤ エーメン


2018年1月1日金昌民牧師「エペソ1章15-」日本語・韓国語(ボイスプログhttp://bethesda.at.webry.info/201801/article_1.html

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2018年1月5日金曜日

【ルンルンウキウキ福引!】

【ルンルンウキウキ福引!】

ルンルン 浮き浮き に娘が
園(作業所)のバスを飛び降りて来て
「今日は これからイ〇ンの福引へ行くんだぁ」と
ハッスルモードで車に飛び乗り ショッピングモール
へと向かうのでありました

お爺ちゃんも
「イ〇ンで1.000円カットしようかな?」と
髪の毛 なぜなぜ 呟いています

イ〇ンにつくと
じぇじぇじぇ の じぇ

スゴイ行列 
「今 福引は最後方2時間待ちです」と 
拡声器が唸っている
(最近何時も空いているに こんなに人が来ることに
驚いた)

それでも2枚の福引券を握り締めて
「頑張るじょ」と拳骨(げんこつ)握って力こぶを見せて
長い列の最後方へと並ぶ娘・・・
きっとすぐにあきらめモードで列から離れる
だろうと思うパパ・・・

でも忍耐強くなったのだねー
成長したのだねー

最後まで並んでいた
結果 ティッシュ 2パックだったけど
その忍耐強さに免じてゲームをやらせてあげちゃった

それに比べて 100歳近い父の方は
1.000円カットが
混んでいたようで ふらふらふらり
やぁぁぁ 探した 探したゼ

レストラン街の端っこに チョッコ!!!
「「たこ焼き」食べたぁぁぁい」だって
やっと見つけて
ホッとするやら あきれるやら
(たこ焼きペロリ 一皿食べた)

兎にも角にも娘の成長を垣間見る出来事に
感謝して 2018年1月4日も
ハレルヤ エーメンの
一日は深け行くのでありました
感謝
 


2018年1月1日金昌民牧師「エペソ1章15-」日本語・韓国語(ボイスプログ)
http://bethesda.at.webry.info/201801/article_1.html

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2018年1月4日木曜日

【年越しの日に 来る2018年カウントダウン】

【年越しの日に 来る2018年カウントダウン】

時が刻々と
2018年へと近づいてきて
テレビでも 至るところで
カウントダウンが始まる
「3」
「2」
「1」
そして ママが・・・
「happy Birthday!!」(ハッピーバースディー)

家族の皆と お泊りに来ていた
神学生が 顔御見合わせ
「アレッ??」
そして 笑いが吹き零れるのである
(おいおい 其処はチガウだろ??)

するとママも
「アレッ??」
「Happy New Year!!」(ハッピーニューイヤー)
「Happy New Year!! か??」と
気がつき悟って 笑い転げて
ワッハハハハハハハ

それが それが さらなる笑いを巻き込んで
家族全員&神学生が 顔御見合わせ
ゲラゲラゲラ の ケセラセラ

年明け俊足(しゅんそく)の初笑いに
今年も良い事 ありそうな気分・・・

ゴーン ゴーン の除夜の鐘も
鳴りやまないうちの出来事でした

今年も
勝利のイエス様に
ハレルヤ エーメン

2018年1月1日金昌民牧師「エペソ1章15-」日本語・韓国語(ボイスプログ)
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2018年1月3日水曜日

2018年賀状


「救い主の誕生を喜ぶ」2017年12月31日今高一紀牧師(日本語・北京語)


2017年12月31日
筑波福音基督教会(日本語・北京語)
「救い主の誕生を喜ぶ」  救主降生的喜樂
ルカ(路加)2章21-38節
メッセンジャー 今高一紀牧師(日本語)
通訳 川島長老(北京語)
日曜礼拝_10時30分から12時
茨城県つくば市谷田部6100-13 谷田部中隣
TEL 029-836-8434
http://bethesda.at.webry.info/201801/article_3.html

2018年1月2日火曜日

【2018年カレンダー初め&1月より】

【2018年カレンダー初め&1月より】

主は
羊飼い、わたしには
何も 欠けることがない。
詩編23篇1節

主の言葉が
香りになって
(2018年カレンダー初め)

いかに幸いなことか
主を畏れ
主の道に歩む人よ。
詩編128篇1節

船橋市純福音愛隣教会 2018年1月1日
メッセンジャー 金昌民牧師 
「エペソ1章15-」 

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