十九)灼熱のシベリア「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より
私は指定されたゼムランカの、みんなが作業に出払った後の、がらんとした土間に立って暗さに目を慣らしていると、本部員がやってきて、「今度はこの作業を貴方に頼めというんですよ」と、何やらロシヤ語の書類にサインを求め、結局新たに編成された混成組の組長を遣らせられることになった。
全国から集まった初対面連中を指揮するのは大変なことなのだが、手渡された名簿によると、五十名程の兵隊が、今は西岡軍曹の指揮によって行動をして居るようであった。
オブルチア時代の道路作業の経験が活かされると考えたのかも知れないが、私にとってあの過酷な作業の体験は、思い出すのも苦痛であった。
それでも当時は入ソ間もない頃で、まだ体力も気力も充実していたし、組員全部が哈璽浜から移動したいわば仲間同士でもあったから、意識が集中し、だから、目的に向かってがむしゃらだった。それが今頃評価されたのだとすると心外なのだ。
やがて、作業から引き上げてきた連中が、
溢れるようにどっと入ってきた。そしてそのことを知り、ごそごそと不満の声を漏らしているのが聞えてきた。どうも、西岡軍曹のままでいいのではないか、ということらしい。
と、いうことは、彼の人望も満更ではないようである。
間もなく、当の西岡軍曹が、片方のゲートルを胸元で巻き上げながら近づいてきた。既にことの成り行きを聞いて来たとみえて、「ご苦労さんだよなぁ、俺も頑張るからさ、頼むっちぁ」と、東北弁で云った。
元々道路・建築作業というのは、ノルマ達成が一番難しい作業なので、人の良さそうな髭面の、私よりははるかに年上の軍曹は、胸のポケットから皺くちゃな作業表を取り出すと膝の上に広げ、両手で皺を伸ばしてから説明を始めた。
その彼の態度からも、早く組長としての職から逃れたい、そんな様子がありありと見えたが、私もかつてその経験から無理もないと、
漠然と思った。
ここシベリアでは、新たなラーゲルに入ると先ず初対面の挨拶は、「郷里は何処 」から始まるのが通例である。
彼は岩手県花巻市の出身で、元々土建屋が商売だったと言う。
「花巻って、花巻温泉の 」
と問いかけると、彼はわが意を得たりとばかり、話題は完全に花巻温泉に転じてしまった。
翌日全員の前に立って挨拶し、西岡軍曹の横に並んで出発した。若いカーボーイ(歩哨)
が一番後ろから、銃を背中に草笛を吹きながらついてきた。
この日もぎらつく暑さの日であった。シベリアでは冬に比べて夏の季節はあっという間に過ぎてしまう。然し、その短い夏の日に凝縮された太陽は私達の真上にぎらつくのである。
札幌に似て街路樹の美しいこの街は、車道の両側にも街路樹が立ち並び、その舗道には
赤い煉瓦が敷き詰められている。
この舗道に沿って私等の作業現場があるのだが、シベリアの建物は基礎で決まると言われるほど、凍土の基礎作業は困難を極める。夏とはいえ、地下一メートルは正に凍土なのである。
その一向にノルマーの上がらない厳しい基礎の作業が一段落して、今度は本格的な建築作業へと移行するのである。
建築作業とはいっても、とんとんとんと丸太を打ちつけるのではなく、煉瓦とブロックの積み上げによって形作られていく。
煉瓦積みが始まるとそれを担当する数名は、連日芋虫のように、ピンと張り詰めたたこ糸を頼りに積み続ける。煉瓦を運ぶもの、セメントを練る者、それを運ぶもの、夫々分業で動き回るのだが、ノルマーを勘案して、その割り振りをするのが当面の私の仕事である
現場には、ソ連人ナチャーニック(監督)
が二人居る。一人は通称キャピタンと呼ぶ予備役の空軍大尉で、いつも誇らしげに軍服を着て、胸には金ピカの鷲のマーク、軍帽の帯は空軍を表わすブルーである。
彼はユダヤ系のロシヤ人だから、鼻はくちばしのように大きく、眉毛も薄い白色だが、皮膚の色がまだらな唇の薄い大男である。
彼は過去の経験から、日本人をおだてて使うことを心得ているらしい。だから作業前の説明には、大きな身体を折り曲げるようにして、作業表と私を見比べながら、その反応を確かめるように、声の音質まで変えながら話しをする。
みんなは「あのキツネめ」という。私も正にそう思うが、うっかりすると彼の術中にはまってしまうので、説明には神経を集中して、正確に聞き取らなければならない。
彼の下にもう一人のナチャーニックが居る。監督助手と言うべきか、既に七十歳にも手の届きそうな老人、石切山でも同行した例の老人ニコルフである。
私達の作業も第一段階が終わり、各室の仕切りと二階の外壁へと移っていった。
みんなが実によく働いてくれた。西岡の適切な助言もあって、作業は予想以上に進行した様に思う。ところが相変わらずノルマの達成には程遠い。ノルマを達成しないと言うことは直接パンの大きさに響くから、責任者としては食事の度に面が下がる思いがする。
そんな思いに悶々としているある日の午後、キャピタン監督がいつもの様に大きな身体を折り曲げるようにして入ってきた。
「ノーセ、ダバイ( どうぞ)一握りのひまわりの種を私の手に載せる。
「ここの兵隊みんな良く働くので助かる」
声の音質を落としておだてながら、ノルマーの計算書を差し出した。
『二シオカスバラシイ』と、更に西岡を誉めながら書類を指差して、「サイン、サイン」と、指示する。
私は鉛筆を握って計算書を見た。
ふと感じてしまった、何かからくりがありそうだ。相変わらずノルマ達成には程遠いのだ。西岡を呼んで一緒に計算書を見直すと、どうも計算の基礎に問題がありそうだ。煉瓦積みの完成結果の容積そのものには問題が無いのだが、時間が大幅に膨らんでいる。ということは、実際に煉瓦を積み上げた時間に、既に計算されたはずの諸々の時間が、重複して加算されているのではないか、従って煉瓦積の実績濃度が気迫になったということになる。
なぞが解け始めると、私の中に徐々に怒りがこみ上げてきた。
「これは違うのでは 」と、伺うように静かに言ってみた。
「ノーセ、何処が違う 」
下からのぞくように監督
『時間の計算が違うのではないか、作業が予定通り進んでいるのにノルマーが達成しない、理由はここではないか』
彼は屈みこんだ態度から一変して立ち直ると、
「ノーセ、お前は間違いだ、俺は監督だぞ」
「いや正しければそれでいい、しかし、正しくないことは改めないと兵隊は働かせられない」
「バカを言うな、立場を考えろ、ここでは俺が正しいのだ」
「いや違う、間違いを訂正すると約束しなければ作業は中止する」
「何を言うか、捕虜の癖に」
ここで私は思わず外に飛び出すと、天に向かって大きく叫んだ。
「作業止めいっ」
五十名の兵隊は一瞬仕事の手を止め、私の方を見た。
私はもう一度留めを刺すように怒鳴った。
「作業止めいっ」
すると西岡がさっと地べたに転がり、頭の下に手を組んで両目を閉じた。
みんなが同じようにその場に転がった。
通路で、足場の上で、屋上で、みんなが大きく手足を伸ばし空に向かって目を閉じた。
監督が今にも掴み掛らんばかりに怒り、足元の兵隊を靴先でゆすった。
「働け、直ぐ働け」
然し、みんなは五体を思い切り伸ばし、眠ったように動かない。
「ノーセ、いけない、パッサージ( 処罰) だ」
人差し指を振りながらさっと振り向くと、ジープに乗って走り去った。
あとには何とも切ない空虚な静寂が残った。
私も西岡の隣りに身体を伸ばすと、頭の下に両手を組んだ。とてつもなく大きく広い空が見えた。
「これで良かったのだろうか」
咄嗟の出来事とはいえ、結果に大きなマイナスが残るかも知れないのだ。それを考えると私の行動は指揮官として正しかったのだろうか、と疑問が残る。
それにしても、私の一声で見事に動から静へと転換した兵隊たちよ、心の底に熱いものが溢れ、頬を伝った。
老人ナチャーニックが寄ってきて、「ノーセ,プライナ( 正しい) 」と、つぶやくように言ってすり抜けていった。
小一時間も経ったであろうか、街路樹越しにジープが止まり、がやがやと人声が近づいた。一際甲高い声の主は、先ほど怒ってジープに飛び乗ったキャピタン監督の勝ち誇った声だ。
見ると、司令部の少佐が書類をわしづかみにして立っている。私は早速立ち上がって敬礼した。
彼は小さく敬礼を返し、「ノーセ、どうした?」と、あごをしゃくった。
私は通訳に事の成り行きを説明した。
そして「彼の計算は違うのだ、このまま放っておくと兵隊はみんな栄養失調で死んでしまう」
「バカを言うな」
キャピタンが激怒する。
少佐はそんなやり取りに無関心を装って計算書を見詰めていたが、やがて老人監督二コルフを手招きして呼び寄せ、長々とロシヤ語による会話が続いた。
少佐は書類から顔を上げ、改めて私の方に向き直ると、一寸キャピタン監督に目をやってから口を開いた。
「分った、ノーセ、プライナ( 正しい) 」
まさかと思った。私の立場が逆転したのだ。有難い、大声を上げて叫びたいのを、じぃっと耐えて「スパシーボ( 有難う) と、静かに言って手を出した。
握手に応えた少佐は、キャピタン監督を連れて帰っていった。
西岡軍曹が「さあ、ひとふんばりすべえか」と、何事もなかったように東北弁で言った。
「作業始めぃ」
私は思い切り大空に向って叫んだ。
ギイ、ギィ、と足場が鳴り、トンテンカンとハンマーの音が響き、きりきりと滑車も生き返ったように回り始めた。
(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン
への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。
「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」)
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十三)緑の街ビロビジャン「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より
病院の玄関前に整列した私達十三名は、ソ連人院長以下日本人軍医等を前にして、出発のための申告を行った。
「私以下十三名は、只今より日本に向けて出発します。ソ連邦で学んだ民主的貴重な経験を活かし反動分子に立ち向かう覚悟であります」
院長は嬉しそうに敬礼を返し、ニコニコと手を振った。
私達はトラックに乗り込み、何やら訳のわからない期待に胸膨らませて出発した。
深い緑が色濃くなったシベリアの大地を、太陽がぎらぎらと照らし始めたが、間もなくまるで人家の見えない森林を縫って、トラックは踊るように走り続けた。
当然何処かの駅に着くことを期待していたのだが、突然トラックは埃っぽい町並みに入り、それを突き抜けると、目の前に橋桁が見えてきた。その手前を左に曲がり、今度はゆったりと流れる川べりに沿って走り始めた。
そのまま街外れまで走り続けると、急に目の前が開けてトラックが止まった。すると其処には、何と今まで各所で見慣れてきた、あのけばけばしいラーゲル( 収容所) の看板が大きく掲げられているではないか、みんなが「あっ」と、絶句した。そして一瞬にして事情を判断した私達は、やっぱりと肩を落とし、今、目の前に広がっている無数のゼムランカ( 半土中の宿舎) を、トラックの上から唖然と見下ろすのであった。
私も、こみ上げてくる怒りを、辛うじて飲み込んで平静を装い、
「さぁ、また頑張ろうぜ」と、誰にともなく声を掛けてトラックを降りた。
やはり夢だったのだ。判りきっていることなのに、ついぞ期待をしてしまった。それは自分とは関わりの無いところを浮遊する夢だったのだ。
それにしても、ソ連の院長軍医少佐のあの青い目はいったい何だったのだ、何とも切ない気持ちが心の奥に黒いかたまりとなって残った。
この街ピロビジャンは、入ソ後最初に入った収容所オブルチアと、極東の首都ハバロスクとのほぼ中間に位置し、ソ満国境を流れる河黒竜江からは、凡そ百キロの地点にあるらしい、街には比較的近代的な建物も多く、道幅も広く、北海道の首都札幌に似た、緑の多い清潔感の漂う街の様であった。
河に沿ってラーゲル( 収容所)があるのは、監視を容易にするための彼らの智恵なのだが、この不気味などろんとした流れの土手に、二メートル程の通路を残して、三重の鉄条網が張り巡らされている。
ラーゲルを入ると、直ぐ右側に衛兵所があり、その後ろに消防塔のような望楼が立っている。歩哨は、この河と鉄条網との間の通路を通って出勤し、望楼に登る。
夜になると、この望楼からサーチライトが流れ、鉄条網の線を照らし、なめるようにラーゲルの屋根を一巡する。サーチライトと共に狙撃兵が銃口を移動するから、仮に鉄条網に人の手が触れると、その瞬間、間髪を要れず銃声が炸裂し、非常のサイレンが鳴り響くということになる。
私らは、ずらりと立ち並んだラーゲルの、中ほどの組に編入されることになった。病院からの退院者と言うことで、何処の組からも歓迎されないのは覚悟をしていたが、一応ばらばらに分けて配置され、夫々の組に落ち着くことになった。
ビロビジャンでは種々雑多の作業を行ったが、その主な業種を挙げると次の通りである。
病院からの退院者と言うことで、最初は少人数で、作業も比較的軽度に始まり、徐々に重労働に移行したように思われた。
その例を挙げると
( 駅前ロータリーの花畑作業)
ビロビジャン駅前ロータリーの花畑の手入れである。住民が寄ってきてしきりに話し掛ける。特にユダヤ系と思われるきらびやかに着飾った太った中年女性が多かった。
( 国営農場の収穫作業)
収穫作業とは云っても、収穫は殆ど機械で行うので、機械が取り残した野菜の収穫やその後の処理である。春になると取り残された馬鈴薯は澱粉化する。それを密かに持ち帰って水で練り、ペチカで焼くと香ばしい餅のようになる。
( 公共施設等の清掃作業)
国営の劇場や集会所等の清掃である。清掃とは云っても、各施設には夫々清掃員がいるから、我々が行うのは主としてトイレの便層便層の掃除である。これは主に冬季に行うから、トイレは完全に凍結している。その便槽に入り、つるはしで砕き、もっこで引き上げて捨てる。昼食時焚き火の側で、衣服についた氷片は、たちまち溶けて異様な臭気を放つ。
( 工作作業)
旋盤作業等、経験者は高ノルマが期待出来るが、経験の無いものは所内の清掃や資材の運搬などを行う。工場は主として軍需工場の跡が使われていたが、少年刑務所が経営するらしい工場もあり、ここでは服役作業中の少年に突然昼食を奪われたり、トイレの最中に襲われてバンドを引き抜かれるということもあった。
( 道路作業)
土を掘り起こし、その後を平坦にして砕石を入れて道路にする。何故かシベリアでは冬に行う作業で、凍結した土は岩のように固く、つるはしの下で火花が散る。だからノルマが上がらず、我々にとっては厳しい難作業の一つである。
( 伐採作業)
二人鋸で巨木を両側から切り倒す。斜面の反対側に切り目を入れて切り進むと、巨木は思った方向に轟然と音を立てて倒れる。ところが、倒れる瞬間にその小枝に触れたりすると、身体は思わぬ方向に吹き飛ばされて肋骨をへし折ったりすることになる。
( 集積作業)
伐採した巨木の枝を払い、その枝を焼き、丸太は馬又は人力で搬出する。谷間を利用すると、巨木は轟然と音を立てて滑り落ちる。これを積み重ねてノルマを測る。
( 電柱工事)
道路を作り、次に行うのが電柱の施設工事である。丸太を運んで等間隔に穴を掘って電柱を立てる。殆どの作業を人力で行うから大変な重労働である。
( 建築の基礎工事)
普通の家屋は丸太作りだから、全て斧一丁で削り組み立てる。隙間や屋根裏、床下にはツンドラを敷き詰めて防寒する。ビロビジャンでは、街の目抜き通りに、丸太作りの巨大な二階建てアパートを散見した。
( ペンキ塗り)
特にペンキらしい物は無かったから、石灰を水に溶かして使用する。当然触れると衣服につくが、あまり気にしないようである。白色の好きな国民性で、何処の家庭も壁は白、天井も白、カーテンも白である。
( 石炭運搬)
石炭運搬とは云っても、搬送するよりはむしろ、積み上げた石炭の近距離移動が多い。
積み上げられた石炭は自然発火すると、終日めらめらと燃え続けるから、それを防ぐための近距離移動である。
( 氷割り作業)
春を呼ぶ行事である。放置すると、河いっぱいに張り詰めた巨大な氷は橋桁をさらって流れてしまう。河の氷が溶け始める前に、各所に細い鉄棒で穴を掘り、発破を詰めて爆破する。爆破を待つ間のひととき、氷に寝転んで瞼に遠く故郷の春の空を思い浮かべる。
( 除雪作業)
主としてソ満国境近くの施設の除雪であった。酷寒の中をひた走るトラック上での耐寒には必死であった。全員足を踏み鳴らして大声で歌を歌って寒さに耐えた。さて、雪は粉末となってさらりと滑るから、除雪は一向に-進まず疲労感だけが増幅した。
(シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された
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十二)チョープローゼル( 暖かい湖 ) 「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より
列者が着くと、プラットホームから大分離れたところで、伸び上がるようにして取っ手につかまり、歩哨に押し上げられて乗り込んだ。
客室は二段になっていて、上段の空いている所に身体を捻じ曲げるようにして入り込むと、歩哨と向き合って座った。歩哨は私の監視役としてついてきたのだが、また、私の案内役でもあった。
下の席から上がってくる煙草の煙りと共に、男女の甲高いロシヤ語が交錯した。
大部分が労働者らしく、座席いっぱいに身体を伸ばしたり、そんな喧騒の中に円くなって寝込んでいる者もいる。
そんなロシヤ人の中にたった一人日本人がいるのに、特に注目するでもなく、列車は闇の中を鈍い振動を残して走り続けた。
私はポケットからマホルカ( 茎煙草) をつまみ出して歩哨にあごをしゃくると、彼はズボンのポケットから皺くちゃな新聞紙を取り出した.
二人はマホルカを上手に包み、その端を唇で湿し、指先でしごくと、不恰好だが煙草になった。赤い火が走り、甘辛い香りが口いっぱいに広がり、煙となって吐き出された。
ときどき窓を掠めて鈍い灯りが見えたりしたが、あとは暗さが果てしなく続いているようであった。
五、六時間も走ったであろうか、列車が止まり、歩哨に続いて私も大地に降り立った。中年女性の丸々と肥えた赤ら顔が、カンテラを上げると、列車はそのまま私ら二人を残して走り去った。急に茫漠たるシベリアの大地が足元に広がり、例えようもない不安が私を襲った。
歩哨は何度も来た事があるらしく、自動小銃を斜めに背負うと「ダワイ」と、つぶやくように下を向いて歩き始めた。全く人気の無い大地だが、暗さに目が慣れてくると、おぼろげながら道路の輪郭が見え、厳しい寒さの中にも樹々の若葉が匂うようであった。
ここは、チョープローゼルと言う所である。「暖かい湖」と、言う意味らしいが、何処にも湖らしい風景は見えず、霞の向こうには深い森が続いているように思われた。
病院は駅から三、四十分のところにあった。
既に真夜中なのだがぼんやりと灯りが見えた。その点在する灯りの広さから判断すると、随分細長い建物のようであった。
衛兵所の小窓を開けて、歩哨が二言、三言話すと、予め連絡がしてあったと見えて、すぐ中に入れられた。玄関に入ると消毒薬の匂いがつんと鼻をついたが、それはほっとする程身に沁みる、かつての懐かしい病院の匂いでもあった。
驚いたことに、白衣を着た日本人の看護婦が現れ、当然のように私を病室に案内した。
私は彼女を目で追いながら、ポケットをさらう様にしてマホルカを摘み、唖然として彼女に見とれている歩哨のポケットに入れた。彼ははっとしたように視線を逸らし、照れ臭そうにあごをさすると、にやりと笑ってその手を私に差し出した。私はその若者らしい大きなごつい手を握り返し、そのまま胸の辺りで小さく振って看護婦の後に続いた。
病室には三十程のベッドが並び、心地よい室温にみんなぐっすり寝込んでいるようであった。手続きは明日にするからと、とりあえず体温をとることになった。
「皆さんは何処の部隊でありますか 」
と軍隊調で問うと、目のくりくりとしたまだ少女さの抜けきらない看護婦は、「私等は孫呉の病院ですよ」と、言った。
「ああ孫呉ですか、孫呉ならよく私のところからも患者を送りました。私はチチハルの病院です」と、急に親しみが湧き、懐かしさが溢れてきた。
彼女はちょっと目を大きく開いたが、すぐ平静に戻り、「どうぞ」と、体温計を受け取ると鉛筆を握りなおし、急に「あらっ」と、私の顔と見比べ、「もう少し入れて下さい」と、不満そうに押し戻してよこした。
私は「いいです、もう熱は無いんです」と、覚悟を決めた。
彼女はきょとんとして「でも…」と、もじもじしていたが、気をとり直したように「では休んでください」と、ベッドの襟を直すと、不思議そうに首を傾げながら廊下に消えた。
何か、昨日までのことが嘘のようにほっとした気持ちと、まぁ、なるようになるさ、と、自分に言い聞かせる不安な気持ちとが交錯して、ベッドの上で長々と、伸び上がるようにして頭の下に手を組んだ。
カーテンのない枕元の窓ガラスに、樹々の枝が風のように揺れるのが見え、いつか私は夢の中に入っていった。
目を覚ますと、朝陽がいっぱいに溢れていた。一斉に朝の検温が始まった。昨夜は少女のように見えた看護婦が、今朝は尼僧のような落ちつきがあり、急に近寄り難いものを感じたが、彼女の口元から出る何気ない事務的な声の響きを、私は思わず目をつぶって深々と味わった。
当然のことながら、今朝も体温は平常であった。しかし、新患であると言うことで特別に診察があった。診察とは言っても、日本人の若い軍医が聴診器を当てて、触診をするだけのことで、要するにそれだけで可能な範囲の診断ということであった。
検温表に目を通し、しきりに心音を聞いていた軍医が、「まぁいいか」と、ひとごとのように言って、「二、三日入院して様子を見ましょうよ」と、言った。
後ろに続いた婦長が寄ってきて、「丁度良かったわ、大丈夫でしたら、この病室の室長をやってくださいよ」と、言う。
要するに、朝の体操に始まり、食事や伝達事項、病室の掃除、検温の補助、朝夕の点呼、その他諸々に関するこの室の指揮を取ってくれ、と、言うわけである。
そんなことで、私にとっては入ソ以来久々に平穏な日々が続いた。
最初軍医は、二、三日と言っていたのに、それが五日となり、一週間となって、漸く退院が決まり、病院の裏側にあったゼムランカ( 宿舎) の訓練隊に入ることになった。
訓練隊は、退院して作業に参加するまでの体力づくりの場であったから、シベリア各地から、何らかの疾患を経て、辛うじてここまで来た者達の溜まり場であった。
勿論、完全に治癒した者もいるが、内科的疾患の場合は、触診で分る場合は別として、あとは熱が平静に戻った時点で此処に集められるから、慢性病、神経的疾患、神経痛は因より、心肺に関する疾患も、一定の期間を経過して平熱が認められると、自動的に退院措置が取られるようであった。だから、とても完治したとも思われない兵もいて、そんな兵は、作業を外れて、それで無くとも薄暗いゼムランカの土間に、気だるそうに動いていた。
しかし、健康を取り戻した者にとっては、ここでの作業は、農作業、ペンキ塗り、公園の掃除、公共施設の便所掃除といった具合に、比較的軽作業であったから、本来の作業に比べると天国であった。
ただ、全くの他国者同士の集団であったから、集団としての統制がとりづらく、作業の割り振り、グループの編成なども難しいが、ゼムランカに戻ると、その暗がりでは、いつも正面に背を向けて、独りでごそごそと何かをしている者が多かった。
本部には、予め各地の作業場から、作業員の要請が溜まっているらしく、一応回復したと判断された者は、突然のように三人、五人とトラックに乗せられて、何れかの作業場へと送り込まれていった。
そんなとき、突然私も呼び出されて院長の前に立った。ソ連の軍医少佐である院長は、私を見詰め、手元の書類と見比べながら言った。「ノーセ」と、目で確認してから、「ダモイ、ダモイ」と、私を指差し、通訳を通じて話し始めた。
意外にも、私らを日本へ帰すと言うのである。入院以来の模範的行動を認め、特に日本側軍医の推薦があったので、それを院長である少佐が承認し、特に今回のダモイグループに入れると言うのである。
私のほかにも十二名の兵が選ばれたので、彼等は喜びを懸命に堪えて私の左に整列した。
私は、この十二名を指揮して故国に向かうことになった。
院長は私に、「妻はいるか 」「両親は元気か 」と、聞いた。「敗戦後の日本は大変だが民主化のために頑張れ」とも言った。
私の中に、ぼんやりと夢とも現実ともつかない思いが広がっていった。
本当かもしれない、いや、まさか
院長が去ると、周囲で成り行きを見ていた兵隊がどっと寄ってきた。みんなが羨ましがり、伝言を頼むと、予め用意していたらしい
小さく書き込んだ紙片を渡す者もいた。まさか、と、まるで信じない者もいたが、徐々に彼らの目の色も変ってきた。
日本側軍医が推薦し、それを院長が承認すると言う格式ばった行事はかつて無いことで、何か信憑性がありそうであった。
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