2018年6月11日月曜日

【光の照らす部屋】祈り

【光の照らす部屋】祈り

ある日 祈っていると何時しか
こんな幻のなかにいた

小さな窓から
光のさしこむ部屋の
コンクリートの岩肌が
橙色(だいだいいろ)に淡く
光に揺らめいている

ぼんやりと
光の照らす部屋

そんな大きな部屋の真ん中に私は
座っていたのだ
角々(すみずみ)にはなかなか光が
届かない!
そんな角を遠い目線で追って
私は 頭で考えていた

「罪によって 囚われているのか?」

それとも
「避難場所に置かれているのか」と

そして 更に祈ると こんな思いが
聖霊の働きと共に混み上げてくるのを
感じた

私がまだイエスの中で罪を抱える者で
あるのならばココは 刑期を過ごす
牢獄となり

私がイエスの御名で罪赦されたことを
信じるなら ココは神の御翼の影であると

私の避難場所となり また私はココから
天に上げられるのだ と
天国人 天に上げられる人々の集う場所と
なるのだと

信仰の認識(にんしき)の異なりが人生を
左右する
確信(かくしん)の喜びこそが未来を喜びえと
変えることが出来る

信じなさい
信じないことは 偶像を抱えること
神に対して疑いを抱く傲慢(ごうまん)な行為
信じる者は救われるのです

神を信じ イエス キリストを信じ 
聖霊を信じなさい
全ての働きは あなたのために
備えられているのです
神様を崇める真実こそが 
恵みの醍醐味(だいごみ)なのですから
ハレルヤ エーメン

2018年6月6日金昌民牧師「マルコ1章35-39」(ボイスプログ)http://bethesda.at.webry.info/201806/article_6.html

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ   ブログランキング・にほんブログ村へ

0 件のコメント:

コメントを投稿