
筑波福音基督教会LINEより2021年12月8日に教会の兄弟から紹介された素敵な文書が紹介されて頂きます。
<本来の自分の姿>
ある王が、華やかな宮殿に一部屋を準備し、誰にも近寄らせませんでした。時々王はその部屋に入り、しばらくして出てくるのです。
ある日、臣下が偶然その部屋をのぞいてしまいました。しかしその部屋には、ただ羊飼いのみすぼらしい服が一着かけられてあっただけだったのです。。
この話は、ダビデの人生をほのめかしているようです。
ダビデは、王としての人生を歩みながらも、過去に羊飼いであった自分の本来の姿を忘れず、神様の前に自分を低くしました。
「神様が注いでくださるこのすべての恵みをどうやってお返ししようか」
ダビデは、神様が自分に出会ってくださった場所が広野であり、荒野であったことを生涯忘れていませんでした。
羊飼いであった頃、みすぼらしい服を着て広野をさまよっていた自分を覚え、貧しい心を維持し、自分の心を感謝で満たすことができたのです。
本来の自分の姿を知っている人は、どんな時にも感謝することができるのです。
神様の十字架の前にひざまずく人だけが、神の声を聞くことができ、感激の感謝をささげることができるのです。
今日は、立ち止まって自分の本来の姿、その上に注がれている神様の祝福を黙想してみましょう。
「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。」耶和華啊,我的心不狂傲,我的眼不高大;重大和測不透的事,我也不敢行。(詩篇131:1)
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