
韓国の信仰の友より2025年12月1日・2日・3日・4日・5日・何時も有難う御座います。
2025年12月1日
サムエル下18章黙想:エフライムの森の慟哭
18章のエフライムの森は、王座をめぐる剣のきらめきよりも深く、ひとりの父の愛が吊り下げられている悲劇の舞台です。ダビデは、勝利でも復讐でもなく、息子「アブシャロム」の安否を願いました。「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」(5)それは王としての冷静な命令というより、人生の最後の望みを、かすかな枝に引っかけておこうとする父親の祈りに近い言葉でした。
しかし、この世の「正義」や、主君への「忠誠心」は、その尊い愛を待ってはくれません。かつて栄光の象徴であったアブシャロムの豊かな髪は、今や彼を樫の木に引っかける罠となります。地にも足がつかず、天にも届かないまま、宙づりになった若い命。そこには、前へ進むことも、元へ戻ることもできない、永遠に保留された青春の影が揺れています。まばゆかった反逆の物語は、こうして孤独と静止の姿で幕を閉じていきます。
やがて戦いの勝利を告げる報告ではなく、息子の消息を運ぶ足音が王宮に近づいたとき、ダビデの口からこぼれたのは、ただこの問いだけでした。「若者アブシャロムは無事か。」(29, 32) 王冠を投げ捨て、城門の上の一室で身を震わせながら泣き崩れる父の叫びます。「わが子アブシャロム、わが子よ、わが子アブシャロム。ああ、私が代わりに死ねばよかったのに。」(33) その慟哭は、時代を越えて響き続ける、砕かれた心のレクイエムのようです。
そこで私たちは気づかされます。どれほど遠く逃げても、愛の絆そのものはそう簡単には切れないことを。しかし同時に、反逆の道は、いちばん自分を愛してくれた人の胸に、いちばん深い槍を突き立ててしまう道でもあることを。
今日、私の中にも「若者アブシャロム」の影のように、愛の呼びかけを拒んだまま、宙づりになっている部分はないでしょうか。関係を断ち、心を閉ざし、自分だけの正しさにとどまっている、そんな魂ではないでしょうか。エフライムの森にぶら下がった若さの悲しみを思い起こしながら、私たちは、ただ一つ確かなことを握り直したいのです。私たちをほんとうの「無事」へ、「平安」へと導く道は、愛を刺し貫くことではなく、その愛に立ち返り、応えて生きる道なのだということを。
2025年12月2日
サムエル記第二19章黙想:憐れみの錨を下ろそう
戦場のほこりはすでに静まりましたが、エルサレムへと帰還する王の足取りは、息子の亡骸の前で重く引きずられていました。栄光の旗は、もはや力なく垂れ下がった濡れた布切れにすぎません。ダビデは王冠の重さよりも深い悲しみに沈み、自分のために血を流した勇士たちの献身さえ見ようとしない悲劇の深みに閉じ込められていました。ヨアブの鋭い叫びがその悲嘆の洞穴を突き破ったとき、ダビデはようやく、王座という冷たい宿命を再び背負い直します。
やがてダビデはヨルダン川を渡り、分裂した民心と傷跡に染まった王宮へと戻って行きます。この帰還の道は、単なる物理的な復帰ではありませんでした。それは、復讐と憎しみを越えて、回復の川を渡る孤独にして気高い霊的な巡礼の道でした。
王はこの道の上で、赦しによって和解の祭壇を築くことを決心します。避難の道中ずっと呪いのことばを浴びせ続けたシムイには、憎しみの鎖を断ち切るような温かな抱擁を与え、共同体の裂け目を縫い合わせます。誤解の中をさまよっていた足のなえたメフィボシェテには、かつての契約のかすかな影さえ忘れず、忠義を回復させてやります。さらに、いのちをかけて王を支えた老年のバルジライには、はかない世の誉れではなく、静かな川辺へ帰って行く安らかな休みをゆるし、その代わりに新しい時代の門を彼の子に開いてやるという、きわめて繊細な思いやりを残して行きます。
しかしこの章の終わりでは、ユダとイスラエルが「王に対する分け前」をめぐって争います(19:41–43)。王は帰って来ましたが、心の中の自尊心と比較意識は依然として裂けたまま残っています。大きな戦いは終わっても、目に見えない分裂はまだ終息してはいません。
きょうの私たちの朝もまた、これによく似ています。まだ十分に泣ききれていない喪失と、それでも立って出て行かなければならない場所との間で、私たちは立ちすくみます。かつて石を投げてきた人に向かって剣を抜くのか、それとも「きょうは人を殺す日ではない。」(19:22)とつぶやきながら手を差し出すのか、心は揺れ続けます。私たちの人生という川の上に、深い憐れみの舟がしっかりと錨を下ろすことを、切に願います。
2025年12月3日
サムエル下20章黙想:生存のための忠誠
ダビデの華やかな帰還の光が差し込んだとはいえ、それでただちにすべての問題が解決したわけではありません。都の中には、なおも戦いの塵が完全には沈んでいませんでした。回復したダビデの権威と、ベニヤミン族の静かな不安とが交差するその境界で、一人の男の口を通して、悲劇の響きが世に投げかけられます。「ダビデには、われわれのための割り当て地がない。」(20:1)この叫びは、単なる反逆の扇動ではありませんでした。それは、長年の忠誠の陰に隠れていた、疎外された者たちの重い嘆きであり、時代の疲弊が生み出した孤独な絶叫でもあったのです。いつの時代もそうであるように、反逆は大げさな理念からではなく、整理されない感情のすき間から顔を出す苦い根のようなものなのかもしれません。
いまだ傷の癒えない宮廷では、ダビデの周りを見慣れない静寂がじわじわと取り巻いていきます。ツェルヤの子ヨアブ――彼は忠誠心と野心とが入り混じった、あいまいな境界線の上に立つ人物でした。その手には、すでに流されてきた血のにおいが染みつき、その剣先はいつも権力のもっとも敏感な急所を狙っていました。かつてアブネルを打ち、アブサロムを刺し貫いたように、今度もまた、彼は冷静な計算のもとにアマサの心臓へと剣を突き立てます。ヨアブにとって忠誠とはすなわち生存であり、「効率的な排除」こそが秩序を回復する、ほとんど唯一の道だったのです。
シェバの反乱は、やがてイスラエルが北と南に分裂していくことになる、その永遠の傷跡を先取りして見せる小さな影にすぎませんでした。この反乱の終わりは、孤立した町アベル・ベト・マアカで、一人の知恵ある女を通してもたらされます。戦いの渦中で、ひとりの女の声が流血を止めるのです。彼女の知恵は、剣を握る勇士たちの論理よりも強いものでした。彼女は交渉し、別の道を示し、ついにはシェバの首をはねて城壁の外に投げ渡すという、きわめて現実的な決断をもって、町の滅亡を食い止めます。
この物語の中で、私たちはひとつの深い真理と向き合うことになります。歴史は偉大な王たちの栄光だけでできているのではなく、ヨアブの残酷さ、シェバのはかない夢、そして名もなき一人の女の気高い知恵によっても形づくられている、という事実です。真の平和は、力の誇示からではなく、共同体の滅びを食い止めようとして投げ出される、一片の知恵と勇気から始まる――そのことを心に刻みながら、今日の朝、私たちはどのような知恵を胸に抱いて歩み出すべきかを、静かに祈るほかありません。
2025年12月4日
サムエル記下 21章の黙想 あなたのそばにいる「リツパ」
サムエル記第二21章は、長いあいだ押し込めていた記憶が、ふと現在の中にせり上がってくるような、過去が現在に入り込んでくる物語です。三年間、一滴の雨も降らない日々が続きました。ダビデがその理由を主に尋ねると、神は人々の記憶から消えかけていた一つの名を取り上げられます。ギブオン。契約によって守られるはずだったのに、「熱心」という名のもとに踏みにじられた人々。サウルの剣が切り裂いたのは、彼らの身体だけではなく、神の前で結ばれた約束そのものでした。
そして、この物語の中心に立っているのは、王でも将軍でもなく、一人の女性です。木にかけられた息子たちの亡骸の下で、リツパは粗布を敷いて座り続けています。年が改まるほど長いあいだ、鳥が降り立たないように、野の獣が近づかないように、彼女はことば一つ発せず、ただ身振りと涙でもって、死んだ者たちを守り続けます。サウルがこの世に残した最も鮮やかな遺産は、権力の栄光ではなく、この母の消えることのない深い悲しみでした。
その知らせを耳にして、ようやくダビデは動き出します。打ち捨てられていた骨を集め、サウルとヨナタンの骨を、まるで胸に抱きしめるかのように、丁寧に葬ります。聖書はその場面のあとに、ただ一行を静かに書き添えます。「こうして、彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」(14)�悔い改めの始まりは、派手な会議や宣言の場ではなく、放置されていた死を本来あるべき場所に横たえ、悼まれることのなかった涙を、涙として認めるところから始まります。
そのあとに続く巨人たちとの戦いの場面で、ダビデはもはやゴリヤテを倒した、あの若い羊飼いではありません。息が切れるほど疲れ果てた年老いた王のそばで、名前さえ覚えにくい家来たちが、巨人たちを一人ひとり打ち倒していきます。神の国は、一度きりの華やかな勝利によってではなく、涙と責任を受け継いだ人々のあいだで、静かに受け継がれていきます。
この章を閉じるとき、私たちのすぐそばにいるリツパたちの姿が思い起こされます。教会や家庭の片隅で、名も告げられないまま涙を流し、長いあいだ傷を守り続けてきた人は、いったい誰でしょうか。祈りがどこか詰まっているように感じる季節に、神はもしかすると私たちにも、まずは葬られないまま残されている罪と悲しみを本来あるべき場所に横たえ、その場所からもう一度歩み始めなさいと、静かに呼びかけておられるのかもしれません。
2025年12月5日
サムエル下22章黙想:あなたはわが岩
大地に残っていた乾いた跡が、少しずつ消えていくとき、ダビデは自分の人生に残った乾いた跡を、ゆっくりとたどり直します。谷間や荒野、追われていた夜、息をひそめて過ごした夜明け前の記憶が、一気に胸によみがえってきます。しかし、彼が最後に手に取ったのは剣ではなく、賛美でした。それが、サムエル記第二22章の歌なのです。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主。」(サムエル記第二22:2)�ダビデは、自分の人生の土台を振り返り、自分に本当に残されたものは何であるかを思い巡らします。それは、人の忠誠でも、権力でも、勝利の実績でもありませんでした。決して崩れないと思っていたものが一つずつ崩れ落ちていった、その跡ごとに、黙って立ち続けておられたお方――その方を彼は「巌」と呼びます。揺らぐことのないお方は、ただ主おひとりである――それがこの告白です。
死の大波が首もとまで押し寄せ、息が詰まりそうになったとき、彼がしたことは、呪いではなく祈りでした。「私は苦しみの中に主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは、御耳に届いた。」(サムエル記第二22:7)�だれ一人聞いてはいないように思えた祈りを、主は天にまで携え上げ、雷鳴のような御業をもって応えてくださいます。私たちには偶然の出来事のように見えていたことが、実は、一人の「息の詰まるような祈り」に応えられた神の足跡であったことを、ダビデは後になって悟るのです。
ダビデの賛歌は、勝利を誇る歌ではなく、訓練され、従う者とされた人の告白です。「彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。」(サムエル記第二22:34)�神はダビデを、有利な平地ばかりに導かれたのではありません。足を滑らせやすい崖道を歩かせ、その足首をしっかりと鍛えてこられました。私たちが避けて通りたかった季節こそが、実は、神が私たちを強く形づくっておられた訓練の場であったことを、この歌は教えています。
「主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。」(サムエル記第二22:29)�私たちもまた、ときに前が見えない季節を通ります。しかし、闇が濃くなればなるほど、小さな灯火がいっそうはっきりと浮かび上がるように、人生の闇のただ中でこそ、主が「私の光」であることを知るようになります。ダビデは、生涯の終わり近くになってようやく、自分を守り続けてきたのは自分の勇気ではなく、消えることのない神のともしびであったと告白します。
最後にダビデは、自分一人の物語を越えて、まだ来ていない未来へと目を向けます。「主は、王に救いを増し加え、油そそがれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます。」(サムエル記第二22:51)�この歌は、一人の証言で終わるものではありません。ダビデの子孫として来られるメシア、イエス・キリストの足取りにまで、静かに道を開いているのです。待降節を過ごしている私たちにも、この歌が静かな祈りのように染み込んでいきますように。主よ。私の人生の岩、そしてともしびでいてくださることを感謝します。
感謝します ハレルヤ

写真をクイックして頂くと音声プログに繋がります。
https://youtu.be/Htm5kHMFZ7A?si=RTxbWJGuyubSevVg
●(韓国)オリュン教会2025/11/30「荒野で叫ぶ者がいる!」 能瀬 熙至 伝道師(日本語/韓国語)
●(韓国)オリュン教会2025/11/23「キリストの証人として」 能瀬 熙至 伝道師(日本語/韓国語)https://youtu.be/hHjfVUEs_3Q?si=IF8uU3EUWSGVCiMk
●(韓国)オリュン教会2025/11/16「罪を殺さなければ」 能瀬 熙至 伝道師(日本語/韓国語)https://youtu.be/QdPyuVZ9WoY?si=J3SQjeymU1tULco7
●(韓国) 2025/11/02オリュン教会日本語礼拝「惨めな私が」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)https://youtu.be/K240qM7vWAk?si=HyNSs8YFHZ75PXPg
●(韓国) 2025/10/19オリュン教会日本語礼拝「祈りの姿勢とは?」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/HBHaW-Nejnk?si=u0XD9jGbph0txdmT
●(韓国) 2025/10/5オリュン教会日本語礼拝「安息日を聖とする」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/uYUtAIygqhs?si=1EpANs6AOBE6DhwM
●(韓国) 2025/9/7オリュン教会日本語礼拝「私の立つ土台」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/OqnQ_uW51iM?si=1n-v0_bOCv46vV9z
●(韓国) 2025/8/31オリュン教会日本語礼拝「ゴールへと突き進め」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/-i-GShoKn38?si=2hEsQD0EeXiC_FKv
●2025/8/24オリュン教会日本語礼拝(韓国)「心は燃えていたではないか?」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/YFCusdywyQo?si=i3CoDEyaucxlJKKW
●2025/8/3オリュン教会日本語礼拝(韓国)「主の忍耐」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/tTv8lS8d7vM?si=kmHdrlbXcxkroKA3
●2025/8/10オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ④」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/HZtxip8Uq9A?si=GQnLR3taErjm312d
●2025/7/20オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ③」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/UfYZKNqrZ0E?si=Ft34Rfhcbffk_DBS
●2025/7/13オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ②」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/lYIxHIrZwNI?si=AwWrKot-dMyk3aHB
●2025/7/6オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ①」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/YP1fMM2v1tA?si=QT9-l4wAYGcztuMJ
●(韓国) 2025/7/27渋谷区ベテル教会&葦のかご教会夕拝「同じ血の流れる家族」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://www.youtube.com/live/55RSDdrDkmg?si=L6iJK_kG2jFWaTb7
●(韓国) 2025/6/15オリュン教会日本語礼拝「あなたを孤児にはしない」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/6HuqOJQMzZs?si=yM9WcNd9Wn2wZ9Qd
●(韓国) 2025/6/8オリュン教会日本語礼拝「聖霊により生き返れ」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/W6m70es1_GM?si=Ebye5qBtaEWKTqW0
●(韓国) 2025/6/1オリュン教会日本語礼拝「主はあなたを喜ぶ」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/tzlJjVrDJtc?si=V0-YWv-_f3ICZc-S
●(韓国) 2025/5/25オリュン教会日本語礼拝「結びついた友」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/7qVCTJxIOko?si=kTuBnuaw-FVdCFDv
●(韓国) 2025/5/18オリュン教会日本語礼拝「結婚と夫婦」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/W-ih-O22bmQ?si=VCiIIg0owd1jb4G7
●(韓国) 2025/5/4オリュン教会日本語礼拝「親と子の関係」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/L9in8blLOzQ?si=Bo0W06vBo02Kgj0a
●(韓国) 2025/4/13オリュン教会日本語礼拝「私の為の十字架」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/koN9EF16LZU?si=sqvaf70X3UNaRULc
●(韓国) 2025/4/6オリュン教会日本語礼拝「聖餐に与る恵み」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/X_LkE6FgyOI?si=Po2kMdnLMUQGXuNs
●(韓国) 2025/3/23オリュン教会日本語礼拝「宮清め」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/QG0CQwQra2w?si=G0sVpjO9MYaP0wsv
●(韓国) 2025/3/9オリュン教会日本語礼拝「心を裂いて」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/Km2BL-S3oEM?si=AM84n-lafuojHOZa
●(韓国) 2025/01/12オリュン教会日本語礼拝「神は愛なり」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
http://www.podbbang.com/channels/1790267/episodes/25075994
◎【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
◎【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
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