
韓国の信仰の友より2025年7月21日・22日・24日・25日・いつも有難う御座います。
2025年7月21日
明日を前もって生きる信仰の行為
ほのかな暁光が夜の痕跡cを一つずつ消し去るように、歴代志上22章でダビデが繰り返し口にした「備え」という言葉が、朝の空気のように胸に染み渡ります。備えとは、明日を前もって生きる信仰の行為です。彼は生涯の願いだった主の家を自らの手で建てられないと告げられましたが、物語は失意で終わりませんでした。ダビデは自分が昇ることのない神殿の階段を思い描きつつ、次の世代のために静かに石を削り、金を積み、香柏を集めて整えました。私たちの人生も同じです。輝く神殿の夢を抱いていても、その完成の
2025年7月22日
聖なる奉仕
老いた王ダビデの指先が静かに震えています。しかしその震えは衰えの揺らぎではなく、神への深い渇望が生む聖なる振動でした。彼は、自ら神殿を建てることは叶わないと知っていました。けれども、なおも尊い備えを整えます。絶えることのない礼拝の秩序を築き、世代を超えて奉仕が受け継がれる道を備えます。神殿は、ただの建物ではありません。そこは主の息吹がしみ渡る場所です。人の手の働きと神の栄光が出会う聖なる舞台です。ダビデはその舞台のために人々を立てました。若きレビ人も、白髪の長老も、それぞれが自らの持ち場に立ち、やがて奏でられる奉仕の交響曲を思い描いたのです。「奉仕する」(代上23:28)というひと言は、まるで壮大な交響曲の第一音のように響き渡ります。奉仕は義務ではありません。それは魂の舞であり、恵みに応える歌であり、愛の言葉です。ある者は庭を掃き、ある者は聖なる器を清め、またある者は賛美の声で天を震わせます。そこに大きいも小さいもなく、見える役割と見えない役割の差もありません。あるのはただ、神へと向かう純粋な心だけです。ここには孤高の英雄はいません。祭司とレビ人、老人と青年、経験豊かな者と初心者が手を取り合い、心を一つにして神の御前に立つ。それが真の教会の姿です。ダビデはその光景を心に描き、目に涙の露がにじみました。神殿を建てることはできなかったけれど、彼はそれ以上に永遠に残るものを遺したと悟ったからです。そして今朝、私たちの心にも同じ問いが響きます。「私の人生のどの場所が、神への奉仕となっているのだろうか。」大きくても小さくても、目に見えても見えなくても、すべての瞬間は聖なるいけにえとなり得るのです。「レビ人はもはや…担ぐ必要はない…」(代上23:26)。私の重荷を代わりに担ってくださる主がおられるゆえに、私はより軽やかに、より自由に主に仕えることができます。そしてその奉仕の中で、私の人生そのものがひとつの歌となるのです。
2025年7月24日
ダビデが語る讃美
ビパや琴、シンバルの澄んだ響きが、聖殿の庭を吹き抜ける風のように立ち上ります。�それは単に耳を喜ばせる音楽ではなく、神の御心を動かす聖なる歌でした。ダビデは礼拝の中心に讃美を据えました。そして、「ダビデは…琴や竪琴、シンバルをもって預言させた」(代上25:1)とあるように、讃美はそのまま預言となりました。聖霊の感動が楽器の弦を伝い、唇を通して神の御旨が宣べ告げられたのです。彼らは皆、父の指示に従って…主の宮で歌った(代上25:6-7)。父と子がひとつの音を合わせると、その歌声は聖殿を越え、村へ、そしてイスラエル全土へと広がっていきました。讃美の前では世代の境界が消えました。礼拝は一つの世代だけのものではなく、世代をつなぐ聖なる遺産となったのです。さらに、「下の者も上の者も、達人も弟子も、くじを引いて順番に仕えた」(代上25:8)。讃美は無秩序な音ではありませんでした。自由な霊感と厳かな秩序が出会い、神の御前に聖なる美しさを形づくりました。そして何よりも、そこには清さが求められました。どれほど優れた才能があっても、神にささげる心が清くなければ、その声は空虚な反響にすぎません。では、今日の私たちの礼拝はどうでしょうか。音楽はあっても、御臨在は失われてはいないでしょうか。声は響いても、その内に魂は宿っているでしょうか。歴代誌上25章は静かにささやきます。礼拝の中心には、神への最も深い愛の讃美があり、それは世代を越えて響き渡る聖なる招きなのだと。
2025年7月25日
あなたがいてくれてありがとう!
夜明けがまだ訪れる前、聖所の敷居にはすでに目を覚ましている人々がいました。神の家を守る者たちです。名前すら馴染みのないコラの子孫、そしてムラリの子孫たちでした。彼らの手には華やかな笏も、輝く冠もありません。ただ重たい鍵と、変わらぬ誠実な心だけがありました。門衛なんと平凡で素朴な名でしょうか。しかし神は彼らを有力な「勇士」と呼ばれます(代上26:19)。彼らは剣を振るわず、城を落としたこともありません。では、どうして勇士と呼ばれたのでしょうか。彼らが守ったのは、ただの門ではありませんでした。聖と俗の境界、天と地が触れ合うあの神秘なる接点を守っていたのです。聖書は彼らの名前をひとつひとつ刻んでいます。まるで神がその名を呼ばれながら、「あなたがいてくれてありがとう」と優しく囁かれるかのようです。その名が輝くのは、偉大な功績のゆえではありません。ただ、委ねられたその場所で誠実であったからです。夜が深まるほどに、門衛の存在はより尊く光ります。闇が濃くなるほどに、目覚めた心はますます大切になります。ときに退屈で、ときに孤独かもしれません。けれど、夜明けが訪れると知るのです。その奉仕がどれほど美しく光るものであるかを。神は今も、華やかな舞台の主役を探しておられるのではありません。むしろ、静かな敷居の片隅で黙々と目を覚ましている人を探しておられます。拍手喝采を求めるのではなく、誰の目にも触れない場所でも変わらず善を行う人をです。そのように生きること。それこそが神が私たちを召された理由であり、私たちがこの地上で書き続けるべき最も美しい物語なのです。
謝謝 ハレルヤ
エーメン

(日本)2025/7/27渋谷区ベテル教会&葦のかご教会夕拝「同じ血の流れる家族」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://www.youtube.com/live/55RSDdrDkmg?si=L6iJK_kG2jFWaTb7
(韓国) 2025/6/15オリュン教会日本語礼拝「あなたを孤児にはしない」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/6HuqOJQMzZs?si=yM9WcNd9Wn2wZ9Qd
(韓国) 2025/6/8オリュン教会日本語礼拝「聖霊により生き返れ」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/W6m70es1_GM?si=Ebye5qBtaEWKTqW0
(韓国) 2025/6/1オリュン教会日本語礼拝「主はあなたを喜ぶ」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/tzlJjVrDJtc?si=V0-YWv-_f3ICZc-S
(韓国) 2025/5/25オリュン教会日本語礼拝「結びついた友」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/7qVCTJxIOko?si=kTuBnuaw-FVdCFDv
(韓国) 2025/5/18オリュン教会日本語礼拝「結婚と夫婦」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/W-ih-O22bmQ?si=VCiIIg0owd1jb4G7
(韓国) 2025/5/4オリュン教会日本語礼拝「親と子の関係」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/L9in8blLOzQ?si=Bo0W06vBo02Kgj0a
(韓国) 2025/4/13オリュン教会日本語礼拝「私の為の十字架」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/koN9EF16LZU?si=sqvaf70X3UNaRULc
(韓国) 2025/4/6オリュン教会日本語礼拝「聖餐に与る恵み」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/X_LkE6FgyOI?si=Po2kMdnLMUQGXuNs
(韓国) 2025/3/23オリュン教会日本語礼拝「宮清め」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/QG0CQwQra2w?si=G0sVpjO9MYaP0wsv
(韓国) 2025/3/9オリュン教会日本語礼拝「心を裂いて」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/Km2BL-S3oEM?si=AM84n-lafuojHOZa
(韓国) 2025/01/12オリュン教会日本語礼拝「神は愛なり」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
http://www.podbbang.com/channels/1790267/episodes/25075994
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
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