
韓国の信仰の友より2025年5月1日・2日・5日・6日・7日・8日・9日・・・
いつも有難う御座います。
2025年5月1日
わたしはなぜ、生まれたのだろうか?
「なぜ私は母の胎から出て来たのか。苦しみと悲しみを見るためか。生涯を恥のうちに終えるためか」(エレミヤ書 20:18)。エレミヤの嘆きは、現代を生きる私たちの問いでもあります。なぜ私は生まれたのか。なぜこれほどまでに苦しまなければならないのか。なぜ辱めを受けるのか。人生において、誰もが一度はそのような問いを抱く夜を経験するでしょう。エレミヤのように、生まれてきたことさえ悔やむような深い闇の谷を通ることもあるのです。人生の行き止まりに立たされたとき、その問いは一層重くのしかかってきます。けれども、その問いの奥には、命の尊さが隠されています。苦しみの中でも主に向かって叫ぶことができたのは、エレミヤの魂がまだ生きていたからです。問いかける魂、痛みを感じる心――それは、私たちが生きている証です。砕けた心とあふれる涙を、神は決して見捨てられません。絶望の果てで立ち止まらないでください。その場所から、祈りをもって主に叫ぶとき、主は必ず応えてくださいます。
2025年5月2日
「もしかして」という信仰
「もしかすると、主はこれまでのように驚くべき御業を、私たちにもしてくださるかもしれません」(エレ21:2)。この短い一節には、疑いと期待、弱さと切なる願いが同時に込められています。「もしかして」という言葉は、信仰の揺らぎを表すと同時に、神への最後の希望でもあります。私たちもユダの王のように、危機のときには神の御名を呼びますが、心はすでに別の何かに寄りかかっていることがあります。口では「神様がきっと助けてくださる」と言いながらも、心の奥では「もしダメだったらどうしよう」と保険をかけています。人に頼り、方法を探り、最悪の事態を想定して準備するのです。人生の深い谷間に立たされるとき、私たちは天が開き、海が割れるような劇的な奇跡を求めがちです。けれど神は、そんな奇跡だけではなく、揺れ動く信仰の中からの正直な叫びをも尊ばれます。信仰とは、完璧な確信だけではなく、それでもなお神にすがってみようとする、小さくて慎ましい一歩でもあるのです。「神様、もしかして…今回も私を助けていただけますか?」この一言の祈りだけでも、私たちはもう一度静かに息を整えることができます。奇跡は、いつも特別なかたちで訪れるとは限りません。ときに、それは日常の顔をして、静かな光のように私たちのもとへやってきます。雨が上がった朝、窓から差し込む一筋の陽の光のように。今日の「もしかして」が、明日の「きっと」に変わるその日まで、私たちは信じながら、なお待ち望むことができるのです。神は、たとえ「もしかして」と呼ばれたその信仰の中にさえ、目を留めて、ご自身の民を導いてくださるお方です。
2025年5月5日
近くにおられる方
「わたしは近くにいる神であって、遠くにいる神ではないのか」(エレ23章23節)。時々、神さまがとても遠くに感じられることがあります。祈っても、まるでこだまのように返ってくるだけで、心は空っぽの野原のようです。けれども、私が感じられないだけで、神さまは決して遠くにおられるのではありません。ささやくように私のうちにとどまり、私の涙一粒さえも覚えていてくださいます。そよ風が髪にふれるように、主の息吹は私のそばを通り過ぎ、私さえ気づかなかった痛みをやさしくなでてくださいます。その息吹は、今この瞬間も私の孤独の中へ、恐れの中へ、そしてまだ来ていない明日へと流れていきます。だから今日、主を求める私のささやきは、決して空しく消えることはありません。神さまは近くにおられます。いつも、どこでも、どんな状況の中でも共にいてくださる、インマヌエルの神です。
2025年5月6日
今日を生き抜く力
「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」(エレ24:7)。ふと、こんなことを思うときがあります。「私は誰だろう?私は誰に属しているのだろう?」冷たい競争社会の中で生きていると、自分の居場所がないように感じることがあります。誰が本当に自分を理解してくれるのか、わからなくなることもあります。まるで、世界中が自分を嫌って、遠ざけているように思えるときもあります。そんな心が沈む日、今日の御言葉がそっと、しかし深く、慰めるように心に届きました。「あなたはわたしの民だ。わたしはあなたの神になるよ。」立派だからでも、善い人だからでもありません。ただ、神様が私を愛しておられるからこそ、この恵みの言葉を語ってくださるのです。足りなくて、弱い私を「わたしの民」と呼び、主は喜んで「あなたの神」となってくださると約束されます。どれほどさまよい、失敗しても、神様の声は変わらずにささやきます。「わたしはあなたを忘れていない。あなたはいつも、わたしの心の中にいる。」そのひと言が、今日を生きる力になります。神が私の神でいてくださる、その事実だけで、私はもう一度立ち上がることができます。
2025年5月7日
刺された人々
「わたしがその中に剣を送ったからである」(エレミヤ書25章16節)。一本の剣が通り過ぎます。大地を裂き、心を突き刺し、歴史を目覚めさせます。エレミヤの口を通して語られたその剣は、単なる裁きの道具ではありません。砕かれるべき高慢、打ち砕かれるべき罪、立ち返るべき民に向かって、神は沈黙ではなく、剣を選ばれました。その選択こそ、愛でした。神は傍観者ではおられませんでした。血が流れるその場に、神の涙はもっと深く染み込んでいました。私たちの人生にも、突然訪れる鋭い瞬間があります。思いがけない痛み、理解できない喪失、止まらざるを得なかった歩み。けれども、そのすべての剣の背後には、私たちを生かし直すための神の深いご計画が隠されています。剣は傷を与えますが、時には命を救う手術にもなります。剣先に滲む血だけでなく、その傷を通して流れ込む恵みの光を見る目が必要です。刺された人々とは、痛みを越えて恵みを受けた者たちです。主よ、その剣の前にあっても、あなたの御心を見させてください。刺されたその場所が、あなたの御手が触れてくださる場所であることを信じさせてください。
2025年5月8日
呪いの的
「この都を、地上のすべての国々の呪いの的とする」(エレ 26章6節)。この御言葉を聞いた瞬間、冷たい風が心をかすめました。「呪いの的」という言葉が胸に引っかかり、「すべての国々」という表現に息苦しささえ覚えました。神様がご自分の民を、本当に呪われるのだろうか。しかし、静かに御言葉の流れをたどって目を凝らしていくと、その厳しい言葉の合間に、神様のため息のような深い愛が感じられます。まるで震える手で書き綴られた親の手紙のように――口調は厳しくとも、内側では涙している、そんな愛の言葉です。神様はユダの民を見捨てたくありませんでした。いえ、一度たりとも軽くあきらめたことなどありません。シロのように滅びてしまうことを恐れて、再びその痛みを経験させたくなくて、だからこそ警告されたのです。「今からでも遅くない。立ち返りなさい」と。ドアを激しく閉めて出て行った子どもを、どれほど心配をかけられても、灯りを消さずに待ち続ける親のように。世間から笑われても、そっと明かりを灯し続ける神様は、今日も私たちの帰りを待っておられます。私たちは今、神様の御腕から遠く離れ、自分が作り上げた「神殿」という殻の中に閉じこもり、それで安全だと錯覚してはいないでしょうか。悔い改めとは、ただ裁きを避けるための鍵ではなく、もう一度愛を見つめ直す瞬間です。今日、私はその愛の前に静かにとどまりたい。心を開き、再び神様の御元へ帰りたい。国々のののしりの的となるのではなく、神様の御心を知る子どもとして、また歩み始めたいと願います。
2025年5月9日
従順のくびき
「バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病を持ってその国を罰する」(エレ27:8)。これは神の警告です。イスラエルはバビロン捕囚をただの罰、奪われた自由の屈辱としか見ませんでした。しかしそのくびきは、実は守りであり、その屈服は生き延びる道でした。バビロンのくびきは重い鎖ではなく、神の摂理でした。ときに、望まない道、受け入れ難い屈服が神の声であることもあるのです。私たちも同じです。自分の願いに反する状況を、神の御手と認めることを拒みます。プライドや頑なさが、神の声よりも大きくなります。自分の方法で、自分の時間に、自分の計画通りに進めたいと願うのです。しかし、従順のくびきを拒むとき、私たちは剣と飢饉と疫病の道を自ら選んでしまうことになります。自由だと思った抵抗が、より深い奴隷状態に導くこともあるのです。今、あなたはどんなくびきの前に立っていますか?耐えがたい職場、解決しない人間関係、理解しがたい状況の中で、神の声を無視してはいませんか?ときには、従順が自由よりも尊く、屈服が抵抗よりも賢明であることがあります。神の摂理の中で負うくびきは、私たちを守る恵みとなるのです。剣や飢饉や疫病ではなく、従順の道を選びましょう。そのとき、くびきが軽くなり、キリストの真の自由を体験することができるでしょう。
謝謝 ハレルヤ感謝

(韓国) 2025/5/4オリュン教会日本語礼拝「親と子の関係」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/L9in8blLOzQ?si=Bo0W06vBo02Kgj0a
(韓国) 2025/4/13オリュン教会日本語礼拝「私の為の十字架」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/koN9EF16LZU?si=sqvaf70X3UNaRULc
(韓国) 2025/4/6オリュン教会日本語礼拝「聖餐に与る恵み」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/X_LkE6FgyOI?si=Po2kMdnLMUQGXuNs
(韓国) 2025/3/23オリュン教会日本語礼拝「宮清め」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/QG0CQwQra2w?si=G0sVpjO9MYaP0wsv
(韓国) 2025/3/9オリュン教会日本語礼拝「心を裂いて」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/Km2BL-S3oEM?si=AM84n-lafuojHOZa
(韓国) 2025/01/12オリュン教会日本語礼拝「神は愛なり」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
http://www.podbbang.com/channels/1790267/episodes/25075994
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
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