2024年12月31日火曜日

韓国の信仰の友より2024年12月30日・31日 有難うございます。良いお年をお迎えください。

 




韓国の信仰の友より2024年12月30日・31日

韓国の信仰の友より
2024年12月30日・31日 有難うございます。良いお年をお迎えください。

2024年12月30日
「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」(黙21:4)この世界で流される涙には、深い意味があります。それは不完全な世界を生きる私たちの人生の証であり、同時に神様の慰めを待ち望む祈りでもあります。私たちは日々、様々な形で涙を流します。周りの人々から理解されない時、一生懸命努力しても認められない時、突然の病に襲われた時…。そして最も深い涙は、愛する人が苦しむ時かもしれません。「なぜ、神様?」という問いと共に流れる涙です。しかし、聖書は私たちに希望を語ります。「神は、一つ一つの涙を拭い取ってくださる」という約束です。この約束を与えてくださる神様は、私たちの涙を深く理解される方です。ヨハネの福音書11章で、イエス様はラザロの死に際して涙を流されました。私たちの悲しみを共に担ってくださることを示しています。私たちの涙を知り、共に泣き、そして最後には必ずその涙を拭い去ってくださる…これが私たちの神様なのです。「もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない」という約束は、神様が最終的に全ての涙を意味あるものとし、新しい喜びへと変えてくださることを教えています。私たちの涙は決して無駄ではありません。それは神様の完全な慰めと希望へと導かれる道なのです。韓国務安空港で旅客機事故により亡くなられた方々の安らかなお眠りを心よりお祈り申し上げます。ご家族の皆様の上に主からの深い慰めと平安がありますよう、お祈りいたします。

2024年12月31日
「あなたがたの神は言われる。慰めよ(ナハム)、慰めよ(ナハム)、わたしの民を(アミ)!」(イザヤ40:1)慰めとは何でしょうか?私たちは慰めることができるのでしょうか?金の子牛に拝む民を見つめながら、モーセは心を痛めて執り成しの祈りを捧げます。「この民は偶像崇拝という大きな罪を犯しましたが、主よ、彼らの罪をお赦しになり、怒りを収め、御心を翻して、災いを取り除いてください。」ここでの「赦す」というヘブライ語の動詞「ナサ」には、「持ち上げる」、「重荷を担う」という意味が含まれています。モーセは民の罪の重荷を共に担おうとし、主はその切なる祈りを聞き入れ、「ナハム」(נחם)、すなわち「御心を翻され」(慰める)、民への怒りを収められました。さらに主は「ナハム」(翻し)の積極的な意味を実現されます。単に罰を止めるだけでなく、倒れた民を起こし、新しい力を吹き込み、永遠の安息と避け所となってくださるということです。これこそが「慰めよ」という御言葉の本質的な意味です。そのため、預言者を通して「ナハム」される神は語られます。「わたしの民を慰めよ。」これは単なる感情的な慰めではありません。新しい生命力を吹き込む積極的な行為です。「主の道を備えよ」という御言葉は、まさにこのような慰めの実践を意味します。今や私たちは、互いに対する憎しみと分裂を手放し、荒野で神の大路を平らにするという聖なる召命に共に参与しなければなりません。これこそが真の「ナハム」の生き方であり、神が私たちに委ねられた慰めの働きなのです。 
ポジティブにアクティブにハレルヤ 
アーメン

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(韓国)オリュン教会日本語礼拝 2024/011/24能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
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2024/012/01(韓国)オリュン教会日本語礼拝「私たちの希望」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
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【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
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【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
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