2012年5月11日金曜日

【赦すことは自由の象徴】

【赦すことは自由の象徴】

キリスト中心の生活を過ごすのは
幸いである。
心を癒すイエスキリストの力は、
傲慢を謙りに変え心を軽く安らぎの
信義へと誘ってくれる。

(imtegrity)赦すことは自由の象徴(しょうちょう)
他人を赦すことで、自分の罪に支配されることも
無く自由になれる。(コロサイ3章13節)
光が、七つの色を赦し受け入れる時に、虹が
美しく現れるように、私たちも神様に愛される
美しい光の子として証しするなら、
7回 赦し
700回 赦さなくては
美しい証し人とはなれないのです。

弱い者は、罪を赦すことがなかなか出来ない。
怒りの子として、罪の壁に恵みを拒み
光遮る(ひかりさえぎる)闇の場所に留まって
しまう。
赦すは、全知全能 アルファでオメガの神様に
身と心を委ねて穏やかなコンディションに自らを
保つこと。
安らぎのモチベーションでシャローム(平安)を
味わうこと。
天の御国の親から頂いたDNAに、聖霊に従い歩み
喜ぶことなのです。

人を赦して罪を忘れないのは、赦すという本質で
なく、赦すは、自我と面子(メンツ)を捨てること
から始まります。
赦すと一言で言っても難しい、赦すことを祈り
求めて十字架にかけることも必要なのです。
毎日、充填(じゅうてん)されて行く祈りこそが、
全き(まったき)恵みを実らせるのです。
ハレルヤ エーメン





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