韓国の信仰の友より2025年9月8日・9日・10日・11日・12日・いつも有難うございます。
2025年9月8日
とどまりと謙遜
歴史のしおりには、権力者の喧しい名だけが刻まれるのではありません。嵐のような王たちのあいだに、霧のように静かに染み入り、自らの世界を築いては静かに去っていったヨタムがいます。聖書は彼の時代をこう証言します。「ヨタムはその父ウジヤのすべての行いのとおりに、主の目にかなう正しいことを行った。ただし彼は主の宮には入らなかった。しかし民はなお堕落していた」(代下27:2)。
彼の偉業は何を築いたかによってではなく、どこで立ち止まったかによって証明されます。その時代には目覚ましい復興も、劇的な悔い改めもありませんでした。王は光に向かって歩みましたが、民はなお慣れ親しんだ闇をさまよっていたのです。それは孤独な義の時代でした。
ヨタムは偉大な建築者でした。しかし、彼が築いた最も堅固なものは城壁や塔ではありません。父の傲慢が越えて倒れた聖所の敷居を、彼は決して踏み越えませんでした。権力の頂点にあって、自らに境界を定め、溢れる力を畏れによって治めることを知っていたからです。彼の最も偉大な建築は「止まり」であり、最も高い城壁は「謙遜」でした。
私たちの人生は、壮大な聖殿建築ではない。ただ、日ごとに立ちはだかる無数の敷居の前で、越えてはならない一線を守ること。世に知られずとも、内なる至聖所を汚さぬようにと決意するその孤独な選択こそ、最も聖なる一つの石となるのではないでしょうか。拍手のない場所で黙々と積み上げられたその岩の上にこそ、決して崩れない私の世界が築かれていくのです。
2025年9月9日
指導者の闇、民の崩壊
歴代誌下28章は、アハズの暗い足跡から始まります。彼は主の神殿の門を閉ざし、バアルの祭壇に火を灯し、ついには自らの子を火の中に投げ入れることまでします。王が崩れるとき、国もまた崩れ、ユダの民は戦いに踏みにじられ、二十万もの人々が捕虜として連れ去られました。絶望の行列はサマリアへと向かい、歴史の一頁は呻きそのものとなりました。
そのとき、預言者オデドが立ち上がり、勝利の高揚に酔う軍勢の前で大胆に叫びました。「あなたたちは同胞を奴隷にしようと思っている。しかしあなたたち自身もあなたたちの神、主によって罪に問われずに済むだろうか」(28:10)その声は単なる叱責ではなく、さらなる裁きを自ら招くなとの、神の最後の警告でした。
その叫びは刃を止め、血に染まった行列にいのちの風を吹き込みました。やがて指導者たちは心を入れ替え、捕虜たちに衣を着せ、傷を包み、疲れ果て倒れた者をろばに乗せてエリコまで送り届けました(28:15)。それは、崩れゆく時代のただ中で再び燃え上がった小さな火のようでした。
わたしたちの内にも、目先の利益のために同胞をさえ獣のように扱おうとする、まさに「天に届くほどの憤り」(28:9)貪欲が潜んでいます。だからこそ神は、預言者オデドを通して厳しく告げられるのです。あなたがた自身もすでに主の前に罪ある者ではないか。どうして兄弟に、なおもこのように大きな罪を重ねようとするのか。直ちに彼らを帰し、主の怒りを免れよ。(28:10–11)
最も暗い時を照らすものは砕かれた心が互いに差し伸べる憐れみの手です。罪を犯したアハズが固く閉ざした門の向こうで、歴史は最も弱き者を通して、最も輝かしい愛の扉を開いていたのです。
2025年9月10日
積もり積もった塵を払いのけて
エルサレムの神殿の門は、長いあいだ閉ざされていました。その上には幾重にも塵が積もり、重々しい門の隙間から漏れてくるのは、かび臭い匂いと冷たい静けさばかりでした。聖なる祭壇は無関心な歳月のなかで冷えきった灰となり、賛美が宿っていた場所には蜘蛛の巣だけが繁っていました。歴代誌下二十九章は、まさにこの絶望の荒廃から始まる一篇の叙事詩です。
新しい王ヒゼキヤが即位したその最初の年、彼は閉ざされた門を再び開きました。王国の再建は、華麗な宮殿や強大な軍勢から始まるのではない――すべての始まりは、呻く魂の聖所を立て直し、閉ざされた心の門を開くところから出発するのだと、彼は見抜いていたのです。
ヒゼキヤは単なる改革者ではなく、傷ついた心を支え、再び神の御顔を慕い求める人でした。「主の神殿を聖別せよ、聖所から汚れを取り去れ」(代下29:5)それは単なる建物の清掃ではありませんでした。過ぎ去った年月の失敗や傷、魂を蝕んだ絶望の澱を洗い流す、聖なる儀式だったのです。塵を払い、錆を削ぎ落とすレビ人の手の働きとともに、忘れられていた希望が暁の光のように染み込んでゆきました。
やがて空っぽだった神殿に、再び楽器と歌声が響き渡ります。角笛とシンバル、竪琴が織りなす荘厳な和音は、単なる旋律ではありませんでした。それは荒廃の中で再び打ち始めた心臓の鼓動であり、死の沈黙を突き破って湧き上がった命の歓喜でした。民はその圧倒的な喜びの前にひれ伏し、忘れていた感謝の歌を再び口にしたのです。
あるいは、私たちの心にもまた塵が幾重にも積もっているのかもしれません。世の事柄にもまれ、閉ざされた心の門、冷えきってしまった情熱の祭壇。しかし、今日のヒゼキヤの物語は私たちにささやきます。すべての回復はごく小さな始まり――固く閉ざされた一つの門を押し開く勇気から始まるのだと。そしてそこから、止まっていた私たちの歌は再び鳴り響くのです。
2025年9月11日
赦しにすがって
一人の王の切なる書簡が、風に乗って散り広がります。分裂と喪失の傷に覆われたイスラエルの残された人々に向かい、「帰れ」と手を差し伸べるヒゼキヤの招待状でした。その呼びかけは、単なる宗教儀式ではなく、引き裂かれた魂に向けられた、胸を締めつけるような恋文のようでした。
ある者は嘲笑と冷笑で応えましたが、ある者はみすぼらしい心を抱えてエルサレムへと向かいました。しかし律法の目から見れば、彼らは汚れた者たちでした。長い年月忘れられていた礼拝は不器用で、備えられていない心は不浄でした。完全な資格と条件を備えた者など一人もいませんでした。そのとき、王は民のために祈りました。「善い主よ、どうかお赦しください。たとえ聖所の規定どおりに自らを清めていなくても、心を尽くして神を求める者を、誰であってもお赦しください。」(歴代誌下30:18-19)
この祈りは、神に向かう人間の切実な叫びであると同時に、あらゆる規律と形式を超える神の愛を求める渇望でもありました。神はその祈りを聞かれ、民を「癒され」ました。咎めではなく癒しで、裁きではなく受容で応えられたのです。
その日のエルサレムの喜びは天に届きました。その喜びは完全さゆえではなく、不足だらけにもかかわらず注がれた恵みのゆえでした。神の恵みは、資格のない者の肩を抱くとき、最もまばゆく輝きます。その宴は今日も、傷つき疲れた私たちすべてに開かれています。砕かれた心のままで進み出るときにこそ、癒しと歓喜の祭りが始まるのです。
2025年9月12日
民、本来の姿に立ち返る!
固く閉ざされていた神殿の門が開かれ、乾ききった大地に過越の川が流れはじめました。すると初めて見えてきたものがありました。それは、人々の人生の最も高いところ、心の中心にうずくまっていた堅固な偶像の姿でした。歴代誌下31章は、単なる宗教改革の記録ではなく、恵みを受けた魂がどのように応答するのかを描く一篇の救いの抒情詩なのです。�改革とは大仰なスローガンではありませんでした。それは、それぞれの生活の場でアシェラ像を切り倒し、柱を砕く「本来の姿に立ち返る」(歴代下31:1)道から始まりました。崩れ落ちた祭壇の上から白い埃が拭い去られるとき、人々の心には世の神々が崩れ去り、代わりに本来の主である神の座が備えられました。�やがて王の命令が下ると、畑の初物や油、蜜、ぶどう酒が大河のように神殿へと流れ込みました。人々の手に携えられた十分の一は単なる物質ではありません。それは冬を越えて土を突き破り顔を出した若葉のような感謝であり、真夏の太陽に熟したぶどうの房のような喜びでした。三か月から七か月にわたって、供え物は「いくつもの山」(31:6)を築いて積み重なっていきました。それは人間の欲望が積み上げたバベルの塔ではなく、感謝が天に向かって築き上げた恵みの記念碑だったのです。�民は溢れるほどに注がれる神の恵みと祝福を数え、王ヒゼキヤはその祝福を納める倉を建て、公正な分配の秩序を整えました。黙々と自らの務めを守る祭司とレビ人の班のように、私たちの人生も神の秩序の中で調和するとき、最も美しい賛美の歌となるのです。�今日、あなたの心の倉には何が積まれていますか。もしかすると世の思い煩いや富への心配で満ちてはいませんか。まず神の国を求めるとき、あふれるほどに満たしてくださる神の神秘を体験するでしょう。心の積み重ねを取り払い、恵みの山を築くとき、私たちの人生は神の善と真実によって栄えゆく最も美しい詩となるのです。
感謝 感謝 ハレルヤ

2025/8/24オリュン教会日本語礼拝(韓国)「心は燃えていたではないか?」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/YFCusdywyQo?si=i3CoDEyaucxlJKKW
2025/8/3オリュン教会日本語礼拝(韓国)「主の忍耐」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/tTv8lS8d7vM?si=kmHdrlbXcxkroKA3
2025/8/10オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ④」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/HZtxip8Uq9A?si=GQnLR3taErjm312d
2025/7/20オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ③」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/UfYZKNqrZ0E?si=Ft34Rfhcbffk_DBS
2025/7/13オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ②」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/lYIxHIrZwNI?si=AwWrKot-dMyk3aHB
2025/7/6オリュン教会日本語礼拝(韓国)「5つのソラ①」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/YP1fMM2v1tA?si=QT9-l4wAYGcztuMJ
(韓国) 2025/7/27渋谷区ベテル教会&葦のかご教会夕拝「同じ血の流れる家族」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://www.youtube.com/live/55RSDdrDkmg?si=L6iJK_kG2jFWaTb7
(韓国) 2025/6/15オリュン教会日本語礼拝「あなたを孤児にはしない」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/6HuqOJQMzZs?si=yM9WcNd9Wn2wZ9Qd
(韓国) 2025/6/8オリュン教会日本語礼拝「聖霊により生き返れ」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/W6m70es1_GM?si=Ebye5qBtaEWKTqW0
(韓国) 2025/6/1オリュン教会日本語礼拝「主はあなたを喜ぶ」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/tzlJjVrDJtc?si=V0-YWv-_f3ICZc-S
(韓国) 2025/5/25オリュン教会日本語礼拝「結びついた友」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/7qVCTJxIOko?si=kTuBnuaw-FVdCFDv
(韓国) 2025/5/18オリュン教会日本語礼拝「結婚と夫婦」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/W-ih-O22bmQ?si=VCiIIg0owd1jb4G7
(韓国) 2025/5/4オリュン教会日本語礼拝「親と子の関係」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/L9in8blLOzQ?si=Bo0W06vBo02Kgj0a
(韓国) 2025/4/13オリュン教会日本語礼拝「私の為の十字架」能瀬熙至伝道師((日本語/韓国語)
https://youtu.be/koN9EF16LZU?si=sqvaf70X3UNaRULc
(韓国) 2025/4/6オリュン教会日本語礼拝「聖餐に与る恵み」能瀬熙至伝道師(日本語/韓国語)
https://youtu.be/X_LkE6FgyOI?si=Po2kMdnLMUQGXuNs
(韓国) 2025/3/23オリュン教会日本語礼拝「宮清め」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/QG0CQwQra2w?si=G0sVpjO9MYaP0wsv
(韓国) 2025/3/9オリュン教会日本語礼拝「心を裂いて」能瀬熙至伝道師(YouTube(日本語/韓国語)
https://youtu.be/Km2BL-S3oEM?si=AM84n-lafuojHOZa
(韓国) 2025/01/12オリュン教会日本語礼拝「神は愛なり」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
http://www.podbbang.com/channels/1790267/episodes/25075994
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
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