最近、祈っていると
こんなことを感じたことがあった。
「世紀末」「世の終り」と言う
言葉の後に、LEGOブロックの
ように縦横 並んで重なるように、
恨み辛み(うらみつらみ)、嫉妬(しっと)、妬み(ねたみ)の
ようにイメージを感じたことがある。
それは、レゴの頭のように突出した角を尖らせ
真四角の柱のように幾つも 幾つも
連なり、重なり、厚みを増すモノであった。
それが、聖霊の流れを妨げるように、
最後の方で何本も 何本も
突き出して出ていて、聖(きよい)空気の流れを
遮り(さえぎり)、妨げていた。
祈りに目を閉じると フッと現れ
神の恵みと、聖霊を求める心に妨げを及ぼすのである。
祈りは、忍耐と持続と継続・・・
ゲッセマネの夜にイエスは弟子たちに言らわれた
「わたしが祈りおえるまで、ここに座っていなさい」。
そして、イエスは祈り、血の涙を流されたのである。
祈りは暗闇に一つの光を灯すことが出来る。
私たちは、それを行うことが出来る。
ハレルヤ エーメン
「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。
どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、
わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。
(マルコによる福音書 14章36節)
[ボイスプログ]ジョシュア四十四(更新)
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