葡萄の夢を見たんだ。
小さな緑豆ほどの粒が幾つも幾つも
犇めく(ひしめく)房が幾つも幾つも
家を隔てる境界線の策に連なっている
夢だった。
指で扱く(しごく)と種ばかりで
実の無い葡萄の粒に 私はこう呟いて
いた。
「小さいヤ・・・」
そして ズーと ズーと
右の方から左の方へと 遠く遠く
歩いて房を眺めて行くんだ。
すると小さな房から荒々しく
突き出たように、飛び出たように
大きな粒が現れている。
まるで偏平(へんぺい)葡萄の房!!
その実を摘まんで恐る恐ると
一粒 口に運んでみたんだ。
欲張ってゴルフボール大の一粒を
口に頬張った。
それは、ビックリするほどの
甘さが口の中に広まった。
そしてトロケル思いに、それで
葡萄酒かジュースを作ろうと
試行錯誤(しこうさくご)考えている
ところで目が覚めたんだ。
目が覚めると頭上の窓の外からは
雨粒の音が響いていた。
そして こんな言葉が聞こえた気がした。
「私は振舞う」
「あなたを愛し」
「恵みを常に与える者だ」
「恵みの雨を今日も与える」と・・・
ハレルヤ エーメン
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、
また御霊の欲するところは肉に反するからで
ある。こうして、二つのものは互に相さからい、
その結果、あなたがたは自分でしようと思う
ことを、することができないようになる。
もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の
下にはいない。
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、
汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、
そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、
泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって
言っておく。このようなことを行う者は、神の国を
つぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、
慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、
これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その
情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ人への手紙5章16-24節)
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