2011年4月16日土曜日

【切り株通して生きなさい】


【切り株通して生きなさい】

切り株に新芽が芽吹いて春の訪れを
知るように、彼方の切り株は、
朝露に恵みを受けて緑の芽をのぞかれる
のです。

切り株(きりかぶ)を通して
新しい御業が成されますように、
罪に死に、イエスキリストの
御名に生きなさい。
深く雄雄しく再臨に恵みを
受け継ぎ留めなさい。
「私は弱い」「私は惨め」
「私は足りない」と
非難応報(ひなんおうほう)、
自分を責めてネガティブに
収まるので無く・・・
「頑張る」「努力」と
自我の横暴(おうぼう)に呑まれるで
無く・・・
恵みが「何か」を知るのです。
注ぐ恵みを一心に受けて
ボジティブな御業に「ハレルヤ」と
喜ぶのです。

悪は、命によって支配出来ない時に
ストレスを与え、コンプレックスを
与え、従えさせます。
罪責感に囚われず、徳を高め
力を蓄え戦いなさい。
神は、失敗を落胆することを望まず、
失敗をも成功へと近づけ喜ばれるのです。

サタン→アキューザ→訴える(うったえる)
訴え、告発の罪がアダムの時代に
合法的に入り込み、其の罪、全てに
イエスの御名が風穴を空けました。

死んだ者を攻め立てる者は無く
私達はイエスキリストの御名に、
死んで生きかえったのです。
既に死んで清算は終わっているのです。
(参考 ローマ6章3節)

罪の勢力(せいりょく)と同じ努力で
戦うことはありません。
罪と向き合えば罪責感に押し潰されます。
罪の世界に囚われます。
私たちクリスチャンは、恵みの
世界に生き、神は愛為り 恵み為り と
力を捨てて、力を受ける者なのです。

目の前で紅海が割れるように信じます。
自分を義とする主張より、神を義と
した恵みの素晴らしさを信じます。
努力も頑張りも自我で踏ん張るので無く
既に注がれた恵みの上に立って受け取る
モノだと信じます。
私たちが天国人であることを
信じます。

ハレルヤ エーメン

東京サラン教会 2011年4月10日
「罪と死の力を呑みこむ恵み」
ローマ6章1-14節
メッセンジャー 坂本兵部牧師

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神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が
思い思いの道を行くままにしておかれました。
しかし、神は御自分のことを証ししないで
おられたわけではありません。恵みをくださり、
天からの雨を降らせて実りの季節を与え、
食物を施して、あなたがたの心を喜びで
満たしてくださっているのです。
(使徒言行録14 16-17)





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