「ベテスダ・柏」の由来 エルサレムは八つの門のある城門の街です。 その門の一つに羊の門があります。羊の門の傍らに「ベテスダ」と呼ばれる池がありました。この池には時折、神の使いが降りてきて水を動かす時、最初に水に浸かる者はどの様な病も癒されるという言い伝えがあり、多くの癒しを求める人達が集まっていました。ある時、町が祭りで大騒ぎをしているときに、JESUSは癒しを求める人のいる「ベテスダの池」に行きました。そして歩くことも儘ならず三十八年を床で苦しみ池にも入れない病人を癒されました。JESUSは人々の病を癒すだけでなく、共に悲しみ、共に喜んでくださいました。一緒に食事をし、交わりの時を持ってくださいました。私どもはそんなJESUSの愛を少しでも皆様にお伝えできたらと思い、この南柏の地に小さな茶藝館を開きました。「ベテスダ」が人々を癒したように、ベテスダ柏も温もりのあるアットホームな空間、美味しいお茶を通じて、安らぎの場をご提供できればと思っております。(日本人の夫と台湾人の妻のクリスチャン プログ)
2023年6月30日金曜日
2023年6月29日木曜日
敵の見方はこれ如何に!

敵の見方はこれ如何に!
敵がいれば 正義が成立するように
其れが知恵の始まり
正しさが 存在すれば 過ちがあるように
其れが知恵の始まり
善が有れば 悪が有るように
其れが知恵の始まり
陽と陰の裏表・・・
昔 こんなことを聞いたことがある
イジメの根本には 対象者に存在悪を作る
ことで 其の他の連帯感を生み出す効果が
潜んでいると
敵体感があると 動物は本能的に
群れを作りたがる それが動物に関わらず
人間にも存在すると・・・
全ては 夫々の正義に重んじて
自分の主張を正しいと認めさせる為に
始まる すでに受け継がれた知恵と知識の
争いなのだという
知恵の善と悪とを左右するのは
コインの裏と表と同じようなもので
神が与えるものでなく
人自ら選び選択する判断によるものだと
いうことである
神様がアダムとエバの時代にすでに人間に
許した 自由意志である
(知識の木の実を食べる前は善悪は無く
神様の内なる言葉の中で 人の自由意志は
働いていた。)
それは 神が光と闇とを振り分けたように
分別の無い人間が知恵の木の実を食べて
神に似せられたゆえに行われる 歪みであり
あやまちである
未熟ゆえに成熟しえない知恵の使い
判断・・・
土から練り創られた人間の愚かさ性(さが)と
傲慢の象徴(しょうちょう)だといえよう
神が人に「知恵の木の実を食べてはならない」と
言ったのは それだけ人間が未熟で愚か(幼稚)なのを
知っていたからに違いないとそう思う
4. へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬ
ことはないでしょう。5. それを食べると、あなたが
たの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、
神は知っておられるのです」。6. 女がその木を見ると、
それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには
好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また
共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
(創世記3章4-6節)
オリュン教会日本語礼拝2023/5/23「愛に突き動かされて」能瀬 熙至 神学生
https://www.youtube.com/live/T_2LnMttvI0?feature=share
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
2023年6月25日日曜日
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