2024年10月2日水曜日

韓国 の信仰の友より9月30日、10月1日、2日 いつも有難う御座います。

 



韓国 の信仰の友より
9月30日、10月1日、2日 いつも有難う御座います。
9月30日
サタンの論理はこうです。どんなに「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きる」(1,8)ヨブであるとしても「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか」(9)という。人間は理由があって神を拝むというのです。神が「彼とその一族、全財産を守っておられるから」(10)あなたを崇むのであって、もし「御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪う」(11)でしょう。それでヨブは一夜にして家族も財産も失いました。サタンの論理であれば、ここでヨブは神を憎み呪ったはずでしょう。しかし彼は「神を非難することなく」(22)、「裸で母の胎を出た、裸でそこに帰ろう」(21)と言うのです。よくヨブ記は「義人がなぜ苦しむのか」と言う主題で読むのですが、「理由なしに」(ヒンナーム)それこそ純粋に神を信じることができるのかという主題のもとで読むのも良いでしょう。9月最後の日、秋を迎えるこの時期に、理由なしに主を愛していくことを黙想して見ませんか。
10月1日
「神をのろって死になさい」(ヨ2:9)。ヨブ記に登場するサタンの告発する目的は何でしょうか。多分、ヨブの妻のように「神を呪って死んだらいい」と人に言わせることではないでしょうか。実は、この「呪う」と訳されたバーラクは聖書では「祝福する」(1:10など)と訳されるとてもよく知られている動詞です。すなわち、バーラクは「祝福する」と「呪う」と両意味をもつコインの両面のような表裏一体の言葉です。言うならば、聖書では祝福と呪いは一寸の差です。今日、あなたの前にある状況を主の祝福として受け止めて感謝するのか、あるいは神を恨んで呪うかはあなたにかかっているのでありましょう。秋になった枯れ葉が散るのも信仰によって鍛えられた人生観にとっては感謝であり祝福でありましょう。今日も、祝福と感謝に満ち溢れますように祈ります。
10月2日
「死を待っているが、死は来ない」(ヨ3:21)。生まれた事を後悔し、これで死ねばいい死にたいと思う時があります。確かに神は生きておられますが、全く生きておられないかのように思われる時があります。イエス様すら「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫んでも何の返事もありませんでした。神の前で、神と共に生きてこられたイエス様ですが、徹底的に神の不在を経験しなければならなかったのです。このように神不在をおぼえていたボンへファー牧師は「神がいないかのようにこの世で生きるようにさせる神こそ、私たちが絶えずその前に立っているところの神なのだ。神の前に、神と共に、わたしたちは神なしに生きる」と証言しました。「行くべき道が隠されている者の前を神はなお柵でふさがれる」(23節)。この神を信じながら、この神の前で、この神と共に生きる私たちでありますが、しかしまさに神がいないかのように生かせられています。「義人の苦難」という主題よりも、人の「命」は主の御手にあることを教えるのがヨブ記であるかも知れません。だから、死にたくても死ねないのです。だから、私たちは主に守られている存在でありましょう。


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2024年8月4日(韓国)オリュン教会日本語礼拝
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