2010年12月15日水曜日

【2弟子訓練の面影】(ベジタリアンな寅)



【2弟子訓練の面影】

規則(きそく)の枠(わく)を作って
罰則を加えるのは人が行なうことであり、
神は、人に権威を与え
神は、哀れみを示される

牙を抜かれた狩りも出来ない寅は、
罪も犯さないが、死んでしまうか、
ベジタリアンになるかしかありません。

入れ歯でお粥(おかゆ)を啜る信徒が居れば、
血の滴り落ちる子羊の肉にガブリ食い付く
牧者も居ます。

牧師がもしも弟子訓練を悪用するなら
このようなことが起こる可能性は、避けがたい
事実かもしれません。
それは、
牧師が、教会への愛着が増せば増すほど、
誘惑は高まり、教会を、自分の依存媒体、
生活媒体とし教会を自分の所有物の如く守りたい、
依存したいという、神様の意思と、ご臨在に反する、
私利私欲に苛まれ意気込みの所有権確保の為の
訓練乱用などもありえます。

そして、信徒の人格を無視した牧者が崇める
建物に神様が宿ると信じ、人格に宿る神を見失い、
建物だけの存続に精魂次ぎ込んで罪を重ねるかも
しれないのです。
教会が神様の霊的体から外れ、個人の肉的所有物と
為って自我を発すると破壊が生じます。

信徒の発展性の有る、
霊的成長の牙を抜き、十派一絡
(じゅっぱひとからげ)の平坦な教育を施し
混乱を、我が身の危機を避けたいと願う牧者の
願いに聞き従う、入れ歯で固い信仰を噛み砕けない
噛めない軟弱信仰を植え付け養育してゆく可能性も
あるかもしれません。

弟子訓練とは、神様に牧師と信徒の成熟頻度を
試されるカリキュラムであります。

牧師の成熟が問われ、成熟が伴わないと
旧約聖書的な立法に苛まれ(さいばまれ)イエス様を
見失うか、または、弛んで(たゆんで)真逆に
フォーカスが行ってしまうかもしれないリスクのある
カリキュラムかもしれません。
信徒に到っても、分け合う人の秘密の蜜の味に
酔いしれて、幻影に押し流され、甘さを知った
異動物たちを呼び寄せ餌食としてしまう可能性も
棄てがたくあります。
現に其れに近いことは、
マインドコントロールの中で既に行われていることも
事実であります。
イスカリオデのユダもその一人だったかもしれません!!
[ボイスプログ]水曜礼拝2010.12.08
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ベテスダ・柏のアメバープログ
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