2024年7月2日火曜日

2024年6月28・29・日_7月1日 韓国の信仰の友より

 


2024年6月28・29・日_7月1日 韓国の信仰の友より

2024年6月28日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心した」(ダニ1:8)。バビロンで捕囚の身に生きるダニエルは当時先進国であったバビロンの文化と宗教を拒否して、主の民として生きることを決心しました。誘惑の多いこの地にキリスト者としてのアイデンティティを保ちながら生きるとは決して容易いことではありません。特に「和」を重視する日本の社会でキリスト者として生きることは一つの戦いでもあると言えましょう。その和の中から飛び抜けることがないように妥協することもあるでしょう。しかしダニエルは違いました。彼は決心しました。「決心する」(シューム)とはイサクを祭壇の上に「載せる」(創22:9)という意味の動詞と同じです。まさに燃え尽くしてしまうような意味で。主なる神の民としてこの地上を生きることは、祭壇の上に自分を常に載せることと同じことであります。イエス様の御言葉のように、「自分を捨て、自分の十字架を背負う」時に、私たちはこの地で主の民として生きることができるからであります。

2024年6月29日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った」(ダニ2:8)。どうしても理解できないわことが起こり生活が狂ってしまう場合があります。なぜわたしの人生にこんなことが起こるのかと問いかけてみても答えは与えられないのです。いくら考えても諦めるしかない状況ですが、でも諦めることのできないのがまた私たちの命です。ダニエルは今そのような危急存亡の秋に立たされています。こんな状況の中、彼がとった行動は「願い祈る」(ベアー)ことでした。ダニエル書にのみ登場する動詞で、熱心に探し求めつつ祈ることを意味する語彙です。異邦の地で、神の民として生き抜くことを決心したダニエルはベアーによってこの絶体絶命の危機を乗り越えて行きます。どうしても分からない理解できないことでふらつくとき、それを乗り越えることのできる道はベアーです。あなたに対する神の神秘を知りたいなら、ベアーの道を歩んでください。

2024年7月1日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「そうしなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるはずです…私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも…神々に…金の像を拝むことも、決していたしません」(ダニ3:6,11,17,18)。日本基督教会大会議長、日本基督連盟議長として韓国にわたり神社参拝を勧めた富田満という牧師がいる。彼は「国家は国家の祭祀を国民としての諸君に要求したに過ぎない」といい神社参拝の非宗教性を主張し、さらに「明治大帝が万代におよぶ大御心をもって世界に類なき宗教の自由を賦与せられたものをみだりにさえぎるは冒涜に値する」と述べた。敗戦後、富田の名前で、天皇に反省懺悔するようにという内容の通達文が送り出した。「余は特に戦争責任者なりとは思わない」と言い切った彼は、敗戦金城女子専門学校理事長に就任する。日本基督教団は何のけじめもつけなかった。伊勢神宮を参拝する富田氏であった。「そうでなくとも、決して拝まない」というダニエルの信仰を改めて黙想する時である。

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